ヴィーナー・オーパンバル (独: Wiener Opernball, 英: Vienna Opera Ball)とは、オーストリアのウィーン国立歌劇場で毎年2月灰の水曜日の前の木曜日に行われる舞踏会である。ダンス伴奏はウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体)およびウィーン・オペラ舞踏会管弦楽団[1]が担当し、ヨーロッパで最も格式高いデビュタントボールの一つにも数えられる。 オーストリア=ハンガリー帝国時代の1877年に第一回が開催され1945年まで続くが、戦災でウィーン国立歌劇場が焼失し、1955年に再建されるまで中断した。1956年から復活し、戦災復興の象徴として以降毎年開催される。主催者は帝国時代にはオーストリア皇帝が、共和制移行後にはオーストリア大統領が務めている。 旧貴族、現在の身分ある人、駐オーストリアの外国外交官などの上流階級の子女[2]がウィンナ・ワルツを踊るための場であり、お見合いの意味も持っていた[3]。旧貴族については、旧貴族の中からその年ごとに選出して入場券を与えるという会員制で、系譜を辿ってその子孫に参加券が配られる形式を取った[4]。一般人は参加することができなかったため、国立歌劇場の周囲では「上流階級のふざけた催し」として、抗議デモが繰り広げられるのが常であった[3]。1989年には、デモ参加者によって警備のパトカーが放火される事件が発生している[3]。 デビュタント(debutante)としての出場資格は近年になって基準が緩和され、審査を通れば一般人でも参加できるようになった。ただし条件は厳しく、長身で容姿端麗、語学に堪能など、社交界デビューに相応しいものが求められる[5][6]。
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