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『ヴィーナスとアドーニス』(Q1、1593年)の表紙
『ヴィーナスとアドーニス』(Venus and Adonis)は、ウィリアム・シェイクスピアの3つの長編詩の1つ。 『ヴィーナスとアドーニス』はシェイクスピアと同じくストラトフォード・アポン・エイヴォン出身で年齢も近いリチャード・フィールド(Richard Field
テキスト
1593年、ロンドンでペストが大流行し、市当局は全ての劇場を閉鎖した。シェイクスピアはこの頃には既に最初の5、6本の戯曲を書いていて、評価も得ていた。シェイクスピアは「我が創作の最初のheire(原文ママ)」[2]として、つまり、彼の「ミューズ」(詩神)が生んだ子供[3]を出版することを思い立った。
シェイクスピアは『ヴィーナスとアドニス』を第3代サウサンプトン伯ヘンリー・リズリーに献呈した。1594年の『ルークリース凌辱』も、『ヴィーナスとアドニス』の献辞の中で「より容易ならぬ困難」を約束してくれたとして、サウサンプトン伯に献呈した。サウサンプトン伯は財政的苦境に陥っていたものの、それでもまだパトロンとして金を出すくらいの余裕はあった。
しかし、ある時シェイクスピアはどこからか資金を得て、劇団の利益の1/12が手に入る共有者になることができた。それ以来、長編詩を書くよりは劇作の方が金になったことは言うまでもない[4]。
文学的背景ティツィアーノ・ヴェチェッリオの1554年の絵画『ヴィーナスとアドーニス』。プラド美術館所蔵。
ヴィーナスとアドーニスの話はオウィディウスの『変身物語』第10巻に由来する。オウィディウスはどのようにしてヴィーナスが最初の死すべき人間の恋人である美しいアドーニスを獲得したかを物語っている。二人はずっと一緒で、アドーニスの狩りにもヴィーナスはついて来た。ヴィーナスはアドーニスにアタランテーとヒッポメネース(Hippomenes
。メラニオーンとも)の話をして、危険な動物の狩りをやめるよう説得した。しかし、アドーニスはその警告を無視し、猪に殺されてしまった。シェイクスピアはこの話を元に1194行から成る詩を作り上げた。シェイクスピアの主たる革新はアドーニスにヴィーナスの申し出を拒否させることだった。エルヴィン・パノフスキーは、シェイクスピアはティツィアーノの描いた『ヴィーナスとアドーニス』の複製を見たに違いないと主張した。この絵は確かにアドーニスがヴィーナスの抱擁を拒否しているように見える。反対にシェイクスピアの戯曲では、曖昧な男を求愛し追い回す積極的なヒロインを好んでいるように見える。
もう一つの革新は、三一致の法則の遵守である。出来事は一つの場所で起こり、時間は朝から翌朝まで、二人の登場人物に物語は集中している。 ヴィーナスは恋に病んでいる。馬の鞍からアドニスを持ち上げると、しつこく接吻と話を求めるが、ヴィーナスの行動も言葉もアドーニスに性欲を起こさせない。むしろ拒否する。 アドーニスは翌朝猪狩りに行くと言う。ヴィーナスはアドーニスを思いとどまらせようとし、もっと弱い獲物を狩ってはどうかと提案する。アドーニスはそれを無視し、ヴィーナスの元を去る。ヴィーナスはその夜を哀歌で費やす。夜明けが来て、ヴィーナスは狩りの始まった音を聞く。不安に苛まれながら、ヴィーナスは音のする方に走ってゆく。ヴィーナスの不安は的中し、アドーニスは猪の牙で致命傷を負う。悲しみで愛の女神は愛を呪う。 シェイクスピアの詩は性愛を扱った小叙事詩「epyllion」と見なされている。トマス・ロッジ(Thomas Lodge
あらすじ
特徴
『ヴィーナスとアドーニス』は巧みな表現が絶え間なく続く。"Fondling," she saith, "since I have hemm'd thee hereWithin the circuit of this ivory pale,I'll be a park, and thou shalt be my deer;Feed where thou wilt, on mountain or in dale:Graze on my lips; and if those hills be dry,Stray lower, where the pleasant fountains lie."
(229-234行)意訳:「愛撫を」と彼女は言う。「私が汝をここ、象牙の柵に囲まれたその中に囲ってから、私は公園、汝は我が鹿となり、山で谷で生きなさい。私の唇をお食べなさい。もしどの丘も乾いたら、楽しい泉のあるところまで下りなさい」
このように美辞でほのめかしている。読者に淫らな考えを起こさせる一方でほとんど無垢なままなのが、この詩の特徴である。「丘」の意味するものは唇から乳房に変わり、読者は彼女の体を下っていき、最終行はクンニリングスを連想するかもしれない。