ヴィースブル
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ヴィースブル[1](ヴィスブール[2]とも。Visbur)は、北欧神話に登場するユングリング家であり、ヴァンランディの息子であった。

ヴィースブルは自身の息子のうちの2人がしかけた放火によって彼の邸内で焼死した。それは、ヴィースブルが彼らの母を捨て、彼らにその世襲財産を与えないことの返報であった。ヴィースブルの後は彼の息子ドーマルディが継いだ。
解説

スノッリ・ストゥルルソンはその『ユングリング家のサガ』(1225年)でヴィースブルについてこのように書いている。

Visburr tok arf eptir Vanlanda fodur sinn; hann gekk at eiga dottur Auda hins audga ok gaf henni at mundi trja storb?i ok gullmen. Tau attu 2 sonu, Gisl ok Ondur. En Visburr let hana eina ok fekk annarrar konu; en hon for til fodur sins med sonu sina. Visbur atti son er Domaldi het; stjupmodir Domalda let sida at honum ugafu. En er synir Visburs varu 12 vetra ok 13, foru teir a fund hans ok heimtu mund modur sinnar, en hann vildi eigi gjalda. Ta maltu teir, at gullmenit skyldi verda at bana hinum bezta manni i att hans, ok foru i brott ok heim. Ta var enn fengit at seid ok sidit til tess, at teir skyldu mega drepa fodur sinn. Ta sagdi Huldr volva teim, at hon mundi sva sida, ok tat med, at attvig skyldu avalt vera i att teirra Ynglinga sidan. Teir jattu tvi. Eptir tat somnudu teir lidi, ok komu at Visbur um nott a uvart ok brendu hann inni.[3]

ヴィースブルは彼の父ヴァンランディの跡を継いだ。彼は〈裕福な〉アウジ (en) の娘と結婚した。そして、より広い3つの農場と黄金の首飾りを、花嫁への贈り物として彼女に与えた。彼らは2人の息子、ギースル (Gisle) とオンドゥル (Ond) を得た。しかしヴィースブルは妻の元を去って他の女性を得た。そこで、彼女は彼女の2人の息子とともに彼女の父の家に帰った。ヴィースブルにはドーマルディという息子がいた。ドーマルディの継母はヴィースブルに不運を与えるべく魔法 (en) を用いた。さて、ヴィースブルの息子が、1人が12歳、もう1人が13歳になったとき、彼らは自分たちの父のところへ行き、彼らの母の持参金を所有することを望んだ。しかしヴィースブルは持参金を彼らに引き渡さなかった。すると息子達は、黄金の首飾りがヴィースブルのすべての血統において最高の男の死であるべきだと言った。そうして息子達は帰っていった。それから息子達は、魔術と魔法とを再び始めた。それは彼らが自分達の父を殺すことができるかどうか試すためだった。魔女 (en) のフルズ (en) は、魔法によって、ユングリングの血統において、自身の一族の殺害者が決して望んでいないはずのこの手段でそれをもたらすことができると言った。すると息子達はそのようにすることに同意した。その後息子達は、男達を集めて、夜、ヴィースブルを急襲し、彼の家もろとも彼を焼き殺した[4][5]



スノッリはまた、『ヘイムスクリングラ』での彼の報告において、参考文献とした『ユングリンガ・タル』(en。9世紀に成立)の一部を書き入れている。Ok Visbursvilja byrgisavar nidrsvelga knatti,ta er meintjofmarkar ottusetrs verjendra sinn fodur;ok allvaldi arinkjoligloda garmrglymjandi beit.[3][6](大意)ヴィースブルの体を炎が飲み込んだ。王座を守ろうとする息子達が自分の父親に火をかけた。熱いガルム(犬。火のこと)が激しく咬んだ[7]


ノルウェー史』は、スノッリが引用したものより古い『ユングリンガ・タル』のラテン語で書かれた要約を紹介している。

Hic [Wanlanda] genuit Wisbur, quem filii sui cum omni curia sua, ut citius harenditarentur, vivum incenderunt. Cujus filium Domald [...][8]

彼 [ヴァンランディ] はヴィースブルの父であった。彼の息子達は臣下達と共に生きたまま焼き殺され、彼らはより早く財産を手に入れることになった。彼の息子、ドーマルディ [...][9]


さらにより昔の情報源である『アイスランド人の書』は、『ユングリンガ・タル』での系統を挙げており、そこではヴァンランディの継承者とドーマルディの先代をヴィースブルだとしているvi Vanlandi. vii Visburr. viii Domaldr.[10]
脚注[脚注の使い方]^ 『ヘイムスクリングラ -北欧王朝史-(一)』および『ユングリンガ・タル、あるいはイングリング列王詩』で確認した表記。
^ 『北欧神話と伝説』(V.グレンベック著、山室静訳。講談社、2009年、359-360頁/新潮社、1971年、230頁)で確認した表記。
^ a bYnglinga saga at Norrone Tekster og KvadArchived 2005年12月31日, at Bibliotheca Alexandrina
^Internet Sacred Text ArchiveでのLaingによる英訳にもとづく日本語訳
^NorthvegrでのLaingによる英訳 Archived 2007年3月12日, at the Wayback Machine.にもとづく日本語訳
^A second online presentation of Ynglingatal
^ 『ヘイムスクリングラ -北欧王朝史-(一)』60頁および『ユングリンガ・タル、あるいはイングリング列王詩(前編)』204頁掲載の日本語訳にもとづく大意。
^ Storm, Gustav (editor) (1880). Monumenta historica Norwegia: Latinske kildeskrifter til Norges historie i middelalderen, Monumenta Historica Norwegiae (Kristiania: Brogger), p. 98
^ Ekrem, Inger (editor), Lars Boje Mortensen (editor) and Peter Fisher (translator) (2003). Historia Norwegie. Museum Tusculanum Press. ISBN 8772898135, p. 75.
^Islendingabok IslendingabokのGudni Jonssonによる版

関連項目

北欧神話

ギュルヴィ

スウェーデンの歴史

スウェーデン君主一覧

引用元

ユングリング家のサガヘイムスクリングラ

ユングリンガ・タル(英語版ウィキペディア)

Historia Norwegia(英語版ウィキペディア)

参考文献

伊藤盡「アドルフ・ノレーン編フヴィンのショーゾールヴル作『ユングリンガ・タル、あるいはイングリング列王詩』(前編)」『杏林大学外国語学部紀要』第17号、2005年。

スノッリ・ストゥルルソン『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 -(一)』谷口幸男訳、プレスポート・北欧文化通信社、2008年、ISBN 978-4-938409-02-9










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