ヴィヴィアン・リー
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この項目では、イギリスの女優について説明しています。アメリカのフィギュアスケート選手については「ヴィヴィアン・リー (フィギュアスケート選手)」をご覧ください。

Vivien Leigh, Lady Olivier
ヴィヴィアン・リー
『風と共に去りぬ』(1939)より
本名Vivian Mary Hartley
生年月日 (1913-11-05) 1913年11月5日
没年月日 (1967-07-08) 1967年7月8日(53歳没)
出生地 イギリス領インド帝国西ベンガル州ダージリン
死没地 イングランドロンドンベルグレイヴィア
国籍 イギリス
身長161 cm[1]
職業女優
ジャンル舞台映画
活動期間1933年 - 1967年
配偶者ハーバート・リー・ホルマン(1932年 - 1940年)
ローレンス・オリヴィエ (1940年 - 1960年)
著名な家族スーザン・ファーリントン(娘)
主な作品
風と共に去りぬ』(1939年)
哀愁』(1940年)
欲望という名の電車』(1951年)

 受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1939年風と共に去りぬ
1951年欲望という名の電車
ヴェネツィア国際映画祭
女優賞
1951年『欲望という名の電車』
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
1939年『風と共に去りぬ』
1951年『欲望という名の電車』
AFI賞
映画スターベスト100
1999年(女優部門第16位)
英国アカデミー賞
英国女優賞
1951年『欲望という名の電車』
トニー賞
ミュージカル主演女優賞
1963年『Tovarich』
その他の賞
ハリウッド名声の歩道
1960年 映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して

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ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh, Lady Olivier、1913年11月5日 - 1967年7月8日)は、イギリス女優。本名はヴィヴィアン・メアリ・ハートリー(Vivian Mary Hartley)。英領インド帝国西ベンガル州出身。

1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。後者では、1949年にロンドンウェスト・エンドで上演された舞台版に引き続いて主演を演じた。また、1963年のブロードウェイ・シアターで上演されたミュージカル『トヴァリッチ』 (Tovarich) で、トニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞している。2度の結婚歴と離婚歴があり、その一人はローレンス・オリヴィエである[2]

演劇学校を辞めた後の1934年?35年に4本の映画に出演し、その後舞台『美コの仮面』で映画プロデューサーのアレクサンダー・コルダに認められ、1937年の映画『無敵艦隊』に出演した[3]。映画女優として有名となった後も活動の主軸を舞台におき、30年にわたる舞台女優としての活動で幅広い役柄を演じた。ノエル・カワードジョージ・バーナード・ショウらの戯曲をはじめ、『ハムレット』におけるオフィーリア、『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラ、『ロミオとジュリエット』のジュリエット、『マクベス』のマクベス夫人や、ジャン・アヌイソフォクレスの「アンティゴネ」を翻案したアンチゴーヌなどを演じた。

当時の一般大衆からはイギリスの名優ローレンス・オリヴィエの2度目の妻としての印象を強くもたれていた。オリヴィエとは多くの舞台作品で共演し、映画作品でも3度共演している。結婚生活は1940年から1960年まで続いたが、そのころから徐々に双極性障害に悩まされるようになり[4]、女優としての仕事量の減少を経験した時期もあった。また、1940年代半ばごろからは慢性の結核の発作に見まわれるようになり、最終的にはこの慢性結核で死去している。

1999年アメリカン・フィルム・インスティチュートが発表した「映画スターベスト100」では女優部門の16位に選ばれた。日本では、2000年の「キネマ旬報20世紀の映画スター」の外国女優で4位に選ばれている。
生涯
前半生

リーは1913年11月5日に、イギリス領インド帝国ダージリンのセント・ポール・スクールの寄宿舎で生まれた。東インド会社が解散し英国王室が支配するインドに10代で乗り込み、最初は小間使いから始め、株式ブローカーとして財産をつくることに成功した新興成金の父親アーネスト・ハートリーと母の代からインドに住まう母親のガートルード・メアリ・フランセスとの間に生まれた一人娘で[5][6]、ヴィヴィアン・メアリ・ハートリーと名づけられた[7]。アーネストとガートルードは1912年にロンドンのケンジントンで結婚し、その後イギリス領インド帝国に駐留していた[8]

近年、リーの先祖の起源についての憶測が飛び交っている[9]。リーの伝記作家ヒューゴー・ヴィッカーズは、母親のガートルードがアルメニア人かインド人の血をひいているかもしれないと明かし、それがリーの持つ「暗い東洋の美しさ」の説明になるだろうと書いている[9]

1917年にアーネストはバンガロールへの転属を命じられたが、妻ガートルードと幼いヴィヴィアンをウダカマンダラムに残したままの単身赴任だった[10]。ヴィヴィアンは3歳のときに母親が加入していた素人劇団の舞台に立ち、イギリス童謡の「ちっちゃな羊飼い』 (Little Bo Peep) を歌っている。ガートルードはヴィヴィアンに文学の教養を身につけさせようとして、アンデルセンルイス・キャロルラドヤード・キップリングといった作家たちの子供向け文学作品だけでなく、ギリシア神話やインドの民間伝承なども読み聞かせていた。6歳のときにヴィヴィアンは母ガートルードの意向でインドを離れて、それまで通っていたダージリンの学校からロンドン南西部ワンズワース区ローハンプトン (Roehampton) にあったカトリック女子修道院付属学校(現在のウォルディンガム女学校 (Woldingham School) に転入した。この学校で知り合った友人に、後に女優となる2歳年上のモーリン・オサリヴァンがおり、ヴィヴィアンはオサリヴァンに「立派な女優」になりたいという夢を語っている[11][12]。その後ヴィヴィアンは父アーネストのヨーロッパ旅行についていくかたちで修道院付属学校を退校した。ヴィヴィアンは父に従ってヨーロッパ各地の学校を転々とし、アーネストとヴィヴィアンがイギリスに戻ったのは1931年のことだった。そして、ロンドンのウエスト・エンドで上映されていた、すでに女優としてデビューしていたオサリヴァンが出演していた映画を観たヴィヴィアンは、両親に女優になりたいという望みを告げた。ヴィヴィアンの願いを聞いたアーネストは、ヴィヴィアンをロンドンの王立演劇学校へと入学させた[13]

ヴィヴィアンが13歳年上の法廷弁護士ハーバート・リー・ホルマンと出会ったのは1931年のことである。ハーバートは「役者」を嫌っていたが、1932年12月20日に2人は結婚し、ヴィヴィアンは王立演劇学校を退学した。そして1933年10月12日にヴィヴィアンは一人娘スーザンを出産した[14]。数十年後にスーザンは結婚し、リーの孫となる子供を3人出産している[15]
女優としてのキャリア初期

ヴィヴィアンは友人たちの勧めで、1935年の映画作品『Things Are Looking Up』に出演し、この作品の端役で女優としてデビューした。ヴィヴィアンが契約していた代理人のジョン・グリッドンは「ヴィヴィアン・ホルマン (Vivian Holman) 」という名前が女優として相応しくないと考えた。グリッドンが考えた「エイプリル・モーン」という名前が気に入らなかったヴィヴィアンは、夫ハーバートのミドルネームの「リー」をラストネームに借用し、さらに自身のファーストネーム「ヴィヴィアン (Vivian )」の綴りの「a」を「e」に変更して「ヴィヴィアン・リー (Vivien Leigh)」という芸名を名乗ることを決めた。グリッドンはリーを映画女優として映画監督アレクサンダー・コルダに推薦したが、このときコルダはリーに将来性が欠けているとして出演を断っている[16]。1935年に舞台作品『美徳の仮面 (The Mask of Virtue)』に出演したリーは高い評価を受け、複数のインタビューや新聞記事にとりあげられた。タブロイド紙『デイリー・エクスプレス』のインタビュー記事ではリーのことを「すばやくころころと変わる表情」と表現している。この記事が、後にリーの特徴となっていく「気まぐれ」に最初に言及した公的なコメントだといわれている[17]。のちに桂冠詩人の称号を手にするイギリスの詩人ジョン・ベチェマン(英語版)は「典型的なイングランドの少女」であるとリーのことを言い表している[18]。以前に自身が監督する映画作品へのリーの出演を断ったコルダも、開幕初日にリーが出演する『美徳の仮面』を観劇した。そしてコルダは過去の過ちを認め、リーの映画出演契約書にサインした。『美徳の仮面』はヒットを続け、コルダの計らいで規模の大きな劇場で上演されることとなった。しかしながら当時のリーの声質は大規模な劇場に適しているとはいえなかった。リーの演技は十分に観客をひきつけることが出来ず、『美徳の仮面』は間もなく終演となってしまっている[19]

1960年にリーはこの当時のことを回想している。デビュー間もない自分が批評家たちから高く評価され、突然有名になったことに戸惑っており「私が優れた女優だなどと無責任なことをいう批評家もいました。なんと無責任で不道徳ともいえる発言でしょう。当時の私にとってそういった言葉がどれだけ重荷で負担になったことか。耐えられませんでした。このような最初の評価になんとか応えられるようになるまで、何年もかかったのです。ほんとうに馬鹿げた話です。今でもそのときの批評家をはっきりと覚えていますし、生涯許すことはないでしょう」と語っている[20]
ローレンス・オリヴィエとの出会い1948年に行われたオーストラリア公演でブリスベンの空港へ降り立つリーとオリヴィエ。


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