ヴィンス・ギル
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ヴィンス・ギル
Vince Gill
ヴィンス・ギル(2019年)
基本情報
出生名Vincent Grant Gill
生誕 (1957-04-12) 1957年4月12日(67歳)
アメリカ合衆国 オクラホマ州ノーマン
出身地 アメリカ合衆国 テネシー州ナッシュビル
ジャンルカントリーカントリー・ポップブルーグラスロック
職業歌手、ソングライター、ミュージシャン
担当楽器ボーカルギター
活動期間1975年 -
レーベルRCAナッシュビル、MCA、MCAナッシュビル
共同作業者ピュア・プレイリー・リーグ、タイム・ジャンパーズ、イーグルス
公式サイト ⇒vincegill.com

ヴィンス・ギル(Vince Gill、1957年4月12日 - )は、アメリカ合衆国カントリー・ミュージックシンガーソングライターマルチプレイヤー

1970年代カントリーロックバンドのピュア・プレイリー・リーグのフロントマンとして、商業的成功と名声を得る。

1983年にソロ活動を始め、歌手としてもミュージシャンとしても才能を開花させ、ゲスト歌手やデュエットの相手として声がかかる。ギルは20枚以上のアルバムを発表し、『ビルボード』誌のカントリー・チャートには40曲以上のシングルがランクインし、アルバムの総売り上げは2,200万枚を越える。

カントリーミュージック協会主催のCMAアワードに、2回の最高賞エンターテイナー・オブ・ザ・イヤーと5回の男性ボーカリスト賞を含む計18回入賞している。また、男性カントリー歌手で最高の20回グラミー賞を受賞している。

2007年、カントリー・ミュージック殿堂入りを果たした。
生い立ち

ヴィンセント・グラント・ギル(愛称ヴィンス)はオクラホマ州ノーマン生まれ。弁護士行政法裁判官の父ジェイ・スタンリー・ギル[1]はカントリー・ミュージック・バンドで演奏しており、ギルが音楽業界に進むことを奨励した。ギルはオクラホマシティの北西クラッセン高等学校に進む前に、父のおかげで既にバンジョーギターなどいくつかの楽器を演奏できるようになっていた。1970年代後期10代の頃ブルーグラス・レヴューズというバンドで活動したのが本格的な活動の始まりとなった。このバンドの他のメンバーはバンジョーのビリー・ペリー、マンドリンのボビー・クラーク、ベースのマイク・ペリーである。

高校時代、ピュア・プレイリー・リーグ、キッス前座をやったことのあるブルーグラス・バンドのマウンテン・スモークで活動していた。卒業後はリッキー・スキャッグスのバンドであるボーン・クリークやバイロン・バーリン・アンド・サンダンスなど多くのブルーグラスのバンドで活動。後にロドニー・クロウェルのバンド、ザ・チェリー・ボムズのメンバーとなった。
経歴

1979年、カントリーロック・バンドのピュア・プレイリー・リーグのアルバム『Can't Hold Back』にて全米デビューすることとなった。ギルは彼らのヒット曲「Let Me Love You Tonight」でリード・ボーカリストを務めた。

マーク・ノップラーは自身のバンド、ダイアー・ストレイツにギルを誘ったがギルは断った。しかし、ダイアー・ストレイツのアルバム『オン・エヴリー・ストリート』ではバックコーラスで参加している。

ドートリーの第2弾アルバム『Leave This Town』の「Tennessee Line」でもバックコーラスで参加。

1991年よりラジオ番組『グランド・オール・オープリー』のメンバーである[2][3]

2010年11月10日のCMAアワードに出演[4]

ルイス・ブラックのスタンダップ・コメディを扱った映画『Stark Raving Black』の中で、ギルと妻のエイミー・グラントが出演したトニー・ラルーサの動物救助財団の慈善コンサートをネタに長々とジョークを語った。

ジョー・ボナマッサの『Dust Bowl』でコラボレートしている。

2011年7月、NPRのクイズ番組『Wait Wait... Don't Tell Me!』にゲスト出演。

2012年2月23日、23年間所属したMCAナッシュビルを離れたことを発表。

2012年4月14日、ボニー・タイラーのアルバム『Rocks & Honey』に収録されるデュエット「What You Need From Me」が完成[5]

2012年6月、ブルーグラスの曲のみでコンサート・ツアーを行なうことを発表[6]

2012年9月6日、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームで2,478個目の星を受けた[7]

2012年10月15日、ケリー・クラークソンの初のベスト・アルバム『Greatest Hits: Chapter One』に収録される「Don't Rush」にバックコーラスで参加することが発表された。2012年11月1日のCMAアワードで初披露された。

2012年、カントリー・スウィング・グループのタイム・ジャンパーズに参加し、同名のCDが発売された。

2013年3月16日、ロンドンで行なわれるフェスティバル「C2C: Country to Country」に出演[8]

2017年、ギルはグレン・フライの没後、イーグルスに加入した[9][10]。リード・ギタリストを務めるほか、リズム・ギターやバックコーラスを臨機応変に担当。グレン・フライの代役としてリード・ボーカルを担当することも多い。
プライベート

1980年、カントリー姉妹デュオのスウィートハーツ・オブ・ザ・ロデオのジャニス・オリヴァーと結婚し、1982年5月5日、娘ジェニファー・ジェリーン・ギルが生まれた。ギルはジャニスのバンドのコンサートに時々サウンド・ミキサーとして参加した。1990年代半ば、ギルとジャニスは別居し、1998年6月、最終的に離婚。2000年3月、クリスチャン・ポップ歌手のエイミー・グラントと再婚。2001年3月12日、娘コリナ・グラント・ギルが生まれた、コリナは母の姓グラントと父の姓ギルを受け継いでいる。

ギルとエイミーはナッシュビル・プレデターズのファンでシーズン・チケットを持っており、客席にいる所をしばしば大型スクリーンに映し出される。2007年のプレイオフで2人は国歌を歌った。

ギル自身は大学に進学したことがないが、オクラホマ大学フットボール・チームの大ファンである。また彼はテネシー州ナッシュビルベルモント大学の男子バスケットボールの試合のほとんどに観戦に行っている。

ギルは熱心なゴルファーでもあり、ハンディキャップは1か2である。
ディスコグラフィ詳細は「:en:Vince Gill discography」を参照
スタジオ・アルバム

The Things That Matter (1985年)

『ザ・ウェイ・バック・ホーム』 - The Way Back Home (1987年)

When I Call Your Name (1989年)

『ポケット・フル・オブ・ゴールド』 - Pocket Full of Gold (1991年)


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