ヴィルヘルム1世_(ヘッセン選帝侯)
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ヴィルヘルム1世
Wilhelm I.
初代
ヘッセン選帝侯

在位1803年 - 1821年
別号ヘッセン=カッセル方伯
在位1785年 - 1821年

出生 (1743-06-03) 1743年6月3日

死去 (1821-02-27) 1821年2月27日(77歳没)

配偶者ヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマーク
子女マリー・フリーデリケ
カロリーネ・アマーリエ
フリードリヒ
ヴィルヘルム2世
王家ヘッセン=カッセル家
父親ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世
母親メアリー・オブ・グレート・ブリテン
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ヴィルヘルム1世(Wilhelm I., 1743年6月3日 - 1821年2月27日)は、初代ヘッセン選帝侯(在位:1803年 - 1821年)。初めはヘッセン=カッセル方伯(ヘッセン=カッセル方伯としてはヴィルヘルム9世、在位:1785年 - 1821年)。ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世とその妻であったイギリス王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世の王女メアリーの息子。
生涯

1743年6月3日にカッセルで生まれ、兄のヴィルヘルムが既に夭逝していたため世嗣となる。1764年にはデンマークノルウェーフレデリク5世の王女ヴィルヘルミーネ・カロリーネと結婚し、彼女との間に2男2女をもうけた。

ヴィルヘルムは1785年10月31日に父のフリードリヒ2世が死去したためヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世となり、当時ヨーロッパ最大級といわれた資産を相続した。また、ヴィルヘルム9世はロスチャイルド家の祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルト1775年に知己を得、1801年から彼に財産の運用を任せるようになった。ロートシルトはこれを奇貨とし、現代まで続くロスチャイルド財閥の基礎を築いた。

1803年、ヘッセン=カッセル方伯に選帝侯の資格が与えられ、ヴィルヘルム9世はヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世となった。しかし1806年、選帝侯国はジェローム・ボナパルトを国王とするヴェストファーレン王国によって併合された。そのためヴィルヘルム1世はホルシュタインおよびプラハへ亡命したが、1813年ライプツィヒの戦いナポレオン・ボナパルトが敗れると領土を回復し、1821年に死去するまでその地位にあった。なお、ヴィルヘルム1世は神聖ローマ帝国が解体されたにも拘らず「選帝侯」の称号を用い続けた。

ヴィルヘルム1世が死去すると、次男のヴィルヘルム2世が後を嗣いだ。
子女

マリー・フリーデリケ(1768年 - 1839年) - 1794年、アンハルト=ベルンブルク公アレクシウス・フリードリヒ・クリスティアン
と結婚

カロリーネ・アマーリエ(1771年 - 1848年) - 1802年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公アウグストと結婚

フリードリヒ(1772年 - 1784年)

ヴィルヘルム2世(1777年 - 1847年)

先代:
フリードリヒ2世ヘッセン=カッセル方伯
1785年 - 1821年次代:
(選帝侯へ陞格)

先代:
-ヘッセン選帝侯
1803年 - 1821年次代:
ヴィルヘルム2世


更新日時:2020年1月8日(水)11:58
取得日時:2020/05/17 20:53


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