ヴィルヘルムスフェルト
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:カールスルーエ行政管区
郡:ライン=ネッカー郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度28分13秒 東経08度45分13秒 / 北緯49.47028度 東経8.75361度 / 49.47028; 8.75361座標: 北緯49度28分13秒 東経08度45分13秒 / 北緯49.47028度 東経8.75361度 / 49.47028; 8.75361
標高:海抜 386 m
面積:4.75 km2
人口:

3,150人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:663 人/km2
郵便番号:69259
市外局番:06220
ナンバープレート:HD
自治体コード:

08 2 26 099
行政庁舎の住所:Johann-Wilhelm-Strase 61
69259 Wilhelmsfeld
ウェブサイト:www.wilhelmsfeld.de
首長:クリストフ・エルドルフ (Christoph Oeldorf)
郡内の位置

地図

ヴィルヘルムスフェルト (ドイツ語: Wilhelmsfeld) はドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)。この町は18世紀初めに保養地として知られるようになった、オーデンヴァルトの入植地である。
地理

この町はオーデンヴァルト南部の海抜280mから530mの丘陵地に位置している。東に向かって流れシュタイナハ川に注ぐヒルスバッハ川の谷にあたる場所であり、周囲は森に覆われた高原である。西は鞍部がシュリースハイマー渓谷に向かって開けている。気候はわずか数kmしか離れていないにもかかわらずオーバーライン地溝帯のそれとは明らかに異なっている。ここの気候は基本的に温度変化の少ない気候であり、オーバーライン地溝帯に較べ平均気温で約2℃低い。このため盛夏でも蒸し暑い日はほとんど無い。西側の鞍部地形と高地に位置することから降水量は比較的多い。

この町は475haと小さな町である。土地の24.9%が住宅地および交通用地、20.0%が農業用地、54.6%が森林である。[2]

周囲を取り囲む市町村は、南から時計回りに、ハイデルベルクシュリースハイムハイリヒクロイツシュタイナハシェーナウである。
歴史ヴィルヘルムスフェルトの町並み

ヴィルヘルムスフェルトは、シュタイナハ渓谷からシュリースハイムの入会地の森であったこの地に移住した5人の農民に対し、1710年プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムが開拓を許可したことから創設された。実際にはその数年前から何世帯かの農民の家族が無断で住み着いていたと考えられている。この入植地は初め、プファルツ選帝侯の名前に因んで「ヴィルヘルムスブルク」と称したが、その後すぐに「ヴィルヘルムスフェルト」と記録されている。この集落はケラーライ・ヴァルデックに属し、ケラーまたはハイリヒクロイツシュタイナハの村長が管理・運営を行った。新しく創設されたこの集落は、少なくとも10年以上の間税を免除されていた。この事が入植を助長した。1727年にはこの新しい村の住人は108人にもなっていた。この税制優遇措置は、この時代、この村が特に貧しい状態にあったことを示している。石の多い痩せた土壌で生計を維持すること自体が困難であった。さらにその後何度も悪天候による収穫の壊滅状態が繰り返された。たとえば1754年はひどい多雨の年で冬作物は実らなかった。また、1778年もまた新たな凶作の年となった。

1803年にプファルツ選帝侯が廃止され、ヴィルヘルムスフェルトはバーデン領となった。1807年にはケラーライ・ヴァルデック全域からアムト・ウンターハイデルベルクが創設された。1810年にヴィルヘルムスフェルトはハイリヒクロイツシュタイナハの管理から分離され、独立した自治体となった。1885年4月5日には皇妃エリーザベトとその娘ヴァレリーがこの村に滞在した。

第一次世界大戦では、当時人口約900人のこの村から55人の兵士が亡くなった。2つの大戦の間の時代は、ヴィルヘルムスフェルトにおいても貧困、インフレーション、政治的混乱が横行した。第二次世界大戦後には旧ドイツ領の東プロイセンシレジア、チェコ領であったズデーテン地方などから放逐された人々、急速に人口が増大した都市部からの人々が流入した。

1966年、この町は州指定の保養地として知られるようになった。1970年代の市町村再編においてもこの町は独立を貫き、シェーナウ自治体行政連合の一員となった。これに反し、1973年の郡の再編によってハイデルベルク郡が廃止となり、この町は新たに創設されたライン=ネッカー郡に属すこととなった。1989年にヴィルヘルムスフェルトの人口は3000人を超えた。

Jahr1727177718181852190519391950196119701987199119952000200520102015
Einwohner[3]1082934917278689621,4182,0022,5842,8313,0733,2973,3053,3363,2583,197

宗教ヴィルヘルムスフェルトのプロテスタント教会

その創設の時代から、ヴィルヘルムスフェルトの住民はほぼ完全にプロテスタント信者であり、ハイリヒクロイツシュタイナハの教区に属した。1867年にヴィルヘルムスフェルトに独自の教区が設けられ、その1年後に教会堂が完成した。

初めはごくわずかであったヴィルヘルムスフェルトのカトリック信者は、第二次世界大戦後の移住者によってその数を増し、1961年には人口の27%を占めるに至った。


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