ヴィルヘルムスハーフェン
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紋章地図

基本情報
連邦州: ニーダーザクセン州
郡:郡独立市
緯度経度:北緯 53度31分
東経 8度8分
標高:海抜 約 2 m
面積:106.91 km2
人口:

75,027人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:702 人/km2
失業率:12.3% (2006年7月現在)
郵便番号:26351 ? 26389 (旧: 2940)
市外局番:04421, 04423
ナンバープレート:WHV
自治体コード:03 4 05 000
市の構成:27 地区このうち一つは区議会を持つ自治区である
市庁舎の住所:Rathaus
26380 Wilhelmshaven
ウェブサイト: ⇒www.wilhelmshaven.de
行政
上級市長:エーベルハルト・メンツェル (Eberhard Menzel) (SPD)
ヴィルヘルムスハーフェンのヴィルヘルム皇帝橋

ヴィルヘルムスハーフェン(: Wilhelmshaven)はドイツ連邦共和国の都市。ニーダーザクセン州に属する。人口はおよそ8万5千人。
地勢・産業

北海に面しており、19世紀より軍港として栄えた港湾都市。近隣の都市として、30キロほど東にブレーマーハーフェン、50キロほど南にオルデンブルク、100キロほど南東にブレーメンなどがある。港のコンテナ取扱量は、ハンブルクブレーマーハーフェンに次いでドイツ第3位。
歴史

オルデンブルク大公国の領土だったが、1853年の条約に基づいてプロイセンが買収した。プロイセンはこの地に軍港を建設し、プロイセン海軍の重要な拠点とした。ヴィルヘルムスハーフェンという地名は、1871年に成立したドイツ帝国の初代皇帝ヴィルヘルム1世にちなんだものである。

第一次世界大戦末期の1918年10月末、ヴィルヘルムスハーフェンにドイツ艦隊が集結した。指導部は、敗北が決定的になったにもかかわらず、敗戦後の交渉を有利に導くためイギリス艦隊への出撃を命じた(いわゆる「提督たちの反乱」)。これに対し、水兵たちは出撃を拒否し不穏な状況となった。抗議行動を続けていた一部の艦隊の水兵はキール軍港へ上陸、11月3日に大規模な反乱を引き起こし、ドイツ革命へと至った。

1956年以来、この地には北大西洋条約機構(NATO)の海軍基地が置かれている。


年表 ヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshaven)の発展
年ヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshaven)ヘッペン(Heppens)ノイエンデ(Neuende)バント(Bant)ゼングヴァルデン(Sengwarden)
1869ヴィルヘルムスハーフェンと命名ヘッペンノイエンデ?ゼングヴァルデン
1873ヴィルヘルムスハーフェンが市に昇格
1879ヴィルヘルムスハーフェンバント市が誕生
1911三地域が合併してリュストリンゲン(Rustringen)
1937リュストリンゲン(Rustringen)と合併
1938クナイプハウゼン(Kniphausen)を併合して拡大
1948ヴィルヘルムスハーフェンフェッデルヴァルデン
→ ゼングヴァルデン
1972ゼングヴァルデンを併合して拡大



姉妹都市

ヴィシーフランス

ノーフォークアメリカ合衆国

ダンファームリンスコットランドイギリス

青島中華人民共和国

バート・ハールツブルク、ドイツ

ブィドゴシュチュポーランド

出身有名人詳細は「Category:ヴィルヘルムスハーフェン出身の人物」を参照


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