ヴィリ・ミュンツェンベルク
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ヴィリ・ミュンツェンベルクWilli Munzenberg

生年月日1889年8月14日
出生地 ドイツ帝国
プロイセン王国
ザクセン州(英語版)
エアフルト
没年月日 (1940-06-21) 1940年6月21日(54歳没)
死没地 フランス共和国
イゼール県
サン・マルセラン(英語版)
所属政党ドイツ共産党
配偶者Babette Gross
ドイツ国会議員
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ヴィリー・ミュンツェンベルク (ドイツ語: Willi Munzenberg / ヴィルヘルム・ミュンツェンベルク Wilhelm Munzenberg [1] 1889年8月14日 - 1940年6月)はドイツ共産主義者、出版業者、映画製作者。メディア分野での影響の強さから「赤いフーゲンベルグ」(roter Hugenberg)[2][3]、「共産主義者のフーゲンベルク」(kommunistischer Hugenberg)[4]と呼ばれた[注 1]

新ドイツ出版社(Neuen Deutschen Verlag)、新聞「夕刊・世界」(Welt am Abend)及び労働者画報(AIZ)[6]によりミュンツェンベルクはワイマール共和国で最も影響力のある共産党員の一人であった。1937年に共産党の公式見解から外れ、党から除名されている。独ソ不可侵条約を結んだスターリンを「裏切者は、スターリン、お前だ」(Der Verrater, Stalin, bist du)[7]と糾弾した。
来歴・人物
共産党国際青年団への入団まで

ミュンツェンベルクは町酒場の主人の息子でゼッケンドルフ男爵の孫として生まれた。非定期的にフリーマーとエバーシュタットの複式学級に、1904年まで1年間ゴータの国民学校に通った。理容師教育を中断した後の1904年から1910年まで学業を行うことなくエアフルトの靴工場で働いた。1906年にミュンツェンベルクは、プロパガンダと言う名称の労働者教育組合に加入し、1年も経たないうちに組合長となり、その組合をエアフルト自由青年協会として北ドイツの青年協会に加盟させた。その後、扇動家となった為、エアフルトの会社は彼を雇わなくなった。それは遍歴修養を始めてから一ヶ月の事であった。1910年8月から1913年終わりまでスイスチューリッヒの薬局で助手として働いた。そこでスイスの社会主義青年組織のグループに加入し、無政府主義者サークルで流行っていた文献を積極的に勉強した。彼の勉強した文献は、ピョートル・クロポトキン「相互扶助論」、マックス・シュティルナー「唯一者とその所有」、ヨハン・モスト「行動の宣伝」などである。1912年7月末にスイス社会主義青年組織中央委員会メンバーとなり、月刊誌「自由青年誌」の編集者となった。第一次世界大戦ではベルンの国際青年中央委員会を運営し、レーニンや国外追放された他のボリシェヴィキと知り合った。1917年、戦争に批判的な社会民主党代表が参加する国際会議に、委員代表として出席した。同年、デモに参加した為に、5か月間刑務所で過ごした。1918年11月10日に「好ましくない外国人」及び「十月革命支持者」として国外追放された。その後シュトゥットガルトスパルタクス団に加入し、ドイツ共産党(KPD)創立メンバーとなった。1919年には国際共産主義青年同盟(KJI)の委員長となった。1920年にはコミンテルン第二回大会に参加した。
レーニン及びスターリンのエージェント

グリゴリー・ジノヴィエフにより、ミュンツェンベルクは1921年国際共産主義青年同盟書記から突然解任されたが、ミュンツェンベルクのコミンテルンドイツ共産党での立場は特殊なものであった。彼は政治家ではなく宣伝家であり、理論家ではなく実行家であった。その為、党内の権力闘争とは一線を画しており、党内の政策論争には冷淡であった。またミュンツェンベルクはレーニンからのソ連に対する援助の呼びかけに対し、国際労働者救援会(IAH)[8]を組織して代表を務めていた。また、世界な組織であり、党内からは「ミュンツェンベルク・コンツェルン」として有名であった国際労働者救援会は各地の共産党の統制下でなく、モスクワから独立組織として運営されていた。

ロシア内戦後の大飢餓を受け、コミンテルン第3回大会は世界中の社会主義者や左派労働者たちに向けて救援活動を呼びかけた。その呼びかけに対しミュンツェンベルクを代表とする国際労働者救援会が設立された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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