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ヴィニー・アピス
Vinny Appice
ヴィニー・アピス(2007年)
基本情報
出生名Vincent Appice
生誕 (1957-09-13) 1957年9月13日(66歳)
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州
ニューヨーク市ブルックリン区
ジャンルヘヴィメタル、ハードロック
職業ミュージシャン
担当楽器ドラムス、パーカッション
活動期間1975年 -
共同作業者デリンジャー、アクシス、ブラック・サバス、ディオ、WWIII、ヘヴン・アンド・ヘル、ラスト・イン・ライン
公式サイト ⇒vinnyappice.com
ヴィニー・アピス(Vinny Appice、1957年9月13日 - )は、アメリカのロック・ドラマー、作曲家。ブラック・サバス、ディオなどでの活動で有名。ヴァニラ・ファッジ、ベック・ボガート & アピス、キング・コブラ等で活躍したカーマイン・アピスの実弟。 出身はニューヨークのブルックリン区。イタリア系の一家に生まれる。兄カーマイン・アピスの11歳下の弟。9歳の時にドラムと出会い、兄と同じドラム講師に師事した。 16歳の時、彼と彼のバンドBOMFは、レコード・プラント・スタジオでジョン・レノンと出会い、レノンのレコーディングを手伝う。 その後、リック・デリンジャーと合流し、デリンジャー名義で『デリンジャー革命』(1976年)、『悪魔と拳銃』(1977年)、『ライヴ!』(1977年)に参加した。 1978年、デリンジャー時代の同僚、ダニー・ジョンソン(ギター、ボーカル。後にスティーヴ・ヴァイの後任としてアルカトラスに参加)、ジェイ・デイヴィス(ベース、ボーカル)とともに、ハード・ロック・トリオ、アクシス(Axis)を結成、アンディ・ジョンズのプロデュースで『灼熱星雲』をリリース。 1980年、ツアー序盤でアルコール中毒のため離脱したビル・ワードの後任としてブラック・サバスの「Heaven and Hell・ツアー」に合流。ここでヴィニーを気に入ったロニー・ジェイムス・ディオがグループおよび本人に正式加入を強く働きかけ、そのまま正式メンバーとなる。 ブラック・サバスでは『悪魔の掟』(1981年)、『ライヴ・イーヴル』(1982年)にそのプレイを残す。 1982年後半にブラック・サバスを脱退し、ロニーとともにディオの結成に参加。『情念の炎?ホーリィ・ダイヴァー』(1983年)、『ラスト・イン・ライン』(1984年)、『セイクレッド・ハート』(1985年)、『インターミッション』(1986年)、『ドリーム・イーヴル』(1987年)に参加したが、1989年12月にグループを去る。 ディオ在籍中の1985年には、バンド・エイドに始まった数あるチャリティー・プロジェクトのひとつとしてロニーが音頭をとって実現したヘヴィメタル版バンド・エイド「ヒア・アンド・エイド(Hear 'n Aid)」にも参加、アルバム『スターズ』のレコーディングでクワイエット・ライオットのフランキー・バネリとともにドラムを担当した。 1990年には「WWIII(ワールド・ウォー3)」に参加。 1992年、ディオとともにブラック・サバスに復帰し、『ディヒューマナイザー』(1992年)のレコーディングとツアーに参加。
キャリア