ヴィットリオ・デ・シーカ
Vittorio De Sica
1959年
生年月日 (1901-07-07) 1901年7月7日
没年月日 (1974-11-13) 1974年11月13日(73歳没)
出生地 イタリア・ラツィオ州ソーラ
死没地 フランス・オー=ド=セーヌ県ヌイイ=シュル=セーヌ
国籍 イタリア
フランス(1968年に市民権取得)
身長176 cm
職業映画監督、俳優、脚本家
ジャンル映画
活動期間1917年 - 1974年
配偶者ジュデッタ・リッソーネ
受賞
アカデミー賞
外国語映画賞
1964年『昨日・今日・明日』
1971年『悲しみの青春』
カンヌ国際映画祭
グランプリ
1951年『ミラノの奇蹟』
国際映画批評家連盟賞
1951年『ミラノの奇蹟』
国際カトリック映画事務局賞
1956年『屋根』
ベルリン国際映画祭
金熊賞
1971年『悲しみの青春』
ニューヨーク映画批評家協会賞
外国語映画賞
1949年『自転車泥棒』
1951年『ミラノの奇蹟』
1955年『ウンベルト・D』
ゴールデングローブ賞
外国語映画賞
1948年『自転車泥棒』
1963年『昨日・今日・明日』
1961年『ふたりの女』
1964年『ああ結婚』
ブルーリボン賞
外国語作品賞
1961年『ふたりの女』
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
監督賞
1949年『自転車泥棒』
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ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica, 1901年7月7日 - 1974年11月13日)は、イタリア出身の映画監督、俳優。
カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭の最高賞に輝き、アカデミー外国語映画賞も受賞した。俳優としてもアカデミー助演男優賞にノミネートされている。 1901年7月7日にイタリアのフロジノーネ県ソーラで会社員の末子として生まれる。父の給料は少ないため生活は苦しく、2人の姉と共にアルバイトで家を助けながら高校を卒業した[1]。高校卒業後は俳優の道を歩み、兵役で芸能活動を中断しながらも、二枚目の役者・流行歌手として人気を得る[1]。初舞台は1922年。1931年ごろからイタリア映画に出演、マリオ・カメリーニ
来歴
1944年に脚本家のチェーザレ・ザヴァッティーニとコンビを組んで制作した『子供たちは見ている』は、ルキノ・ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、アレッサンドロ・ブラゼッティの『雲の中の散歩(英語版)』と並んでネオレアリズモの嚆矢と見なされている[1]。
第二次世界大戦後に再びザヴァッティーニと組んで制作した『靴みがき』や『自転車泥棒』は、ネオレアリズモを代表する作品として評価され[1]、両作ともアカデミー特別賞を受賞している[2][3]。1951年の『ミラノの奇蹟』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞するが、1950年代に入ってネオレアリズモの動きは停滞し、旗手の一人であるデ・シーカもまた壁に当たる[1]。
1953年に資金獲得のために方向性を転換してアメリカ映画界の俳優を起用した『終着駅』を制作する[1]。
1957年には『武器よさらば』にイタリア人軍医役として出演し、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。老年に至っても『パンと恋と夢』『ロベレ将軍』などの作品に俳優として出演した。
1964年、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演の『昨日・今日・明日』でアカデミー外国語映画賞を受賞。1970年にはソビエト連邦の後援によって『ひまわり』を発表[1]、1971年の『悲しみの青春』ではベルリン国際映画祭金熊賞と2度目のアカデミー外国語映画賞を受賞した。