旗
紋章
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ヴィスマール (Wismar ドイツ語発音: [?v?sma?]) はドイツ北部、バルト海に面した小都市である。2021年12月31日現在の人口は約4.3万人(1905年の人口は21,902人であるため、100年間で人口が倍増したことになる)。かつてハンザ同盟都市の一つであった。現在はドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州ノルトヴェストメクレンブルク郡の郡都。ヴィスマルとも表記される。
45キロメートル西にリューベック、30キロメートル南にシュヴェリーンがあり、ヴィスマール湾に面した天然の良港を持っている。教会ならびに市内の建造物は「ハンザ同盟都市の煉瓦ゴシック建築」を代表し、2002年にシュトラールズントともに「シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区」としてUNESCOの世界遺産に登録された。
なお、この街は1922年の映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』のロケ地として撮影に使用された。
地名の最も古い形は1211年の >Wissemer< で、湾の名前が市の名前になったようである。これは、ゲルマン語の「良い」「優れた」を意味する >wisu-<、>wisi-< と海を意味する >-mari< の合成語であろうとの推測がなされている[2]。 ヴィスマールは1229年に都市権を獲得したと言われ、1241年には市参事会の存在が、1256年には市章の使用が証明されている[3]。 1301年にメクレンブルクの領地となった。1259年、バルト海を横行する海賊から都市と船舶を守るためリューベック及びロストックと協定を結び、それが後にハンザ同盟へと発展した。かくて1358年以降ヴェンド地方の都市グループの一都市としてハンザの中核地域の一部となった[4]。1470年 頃の人口は約8000人であった[3]。中世末期1ヘクタール当たりの住民数は150であった[5]。 13世紀から14世紀にかけてこの町はビール製造・販売、樽製造、毛織物を主産業として繁栄した。1376年に疫病によって1万人もの死者を出したにも拘わらず、16世紀まで栄えた。 1510年頃にはじめて出版されたドイツの民衆本『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、その第65話で主人公は馬の仲買人として市場に登場するが、舞台がヴィスマールに設定されている[6]。 1532年には宗教改革が行われた[3]。 1648年、ヴェストファーレン条約で、ヴィスマールはその支配権と都市領主の称号を神聖ローマ帝国からスウェーデンに譲渡された。こうしてスウェーデンの君主は神聖ローマ帝国内に所有する事となったヴィスマール及び他の領地の「公」または「帝国諸侯」として帝国議会に参加するようになった。
歴史
ハンザ都市
スウェーデン統治下