ヴィクトリー_(戦列艦)
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ヴィクトリー

基本情報
建造所チャタム工廠
運用者 イギリス海軍
艦種104門1等戦列艦
建造費63,176ポンド3シリング
母港ポーツマス歴史ドック
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度48分07秒 西経1度06分35秒 / 北緯50.80194度 西経1.10972度 / 50.80194; -1.10972座標: 北緯50度48分07秒 西経1度06分35秒 / 北緯50.80194度 西経1.10972度 / 50.80194; -1.10972
艦歴
発注1758年7月14日
起工1759年7月23日
進水1765年3月7日
就役1778年
現況現役 (第一海軍卿旗艦記念艦)
要目([1]
排水量3,500 トン
2,142 bm
全長砲列甲板:186ft (56.7m)
全体:227ft 6in(69.3m)
最大幅51ft 10in(15.8m)
高さ喫水線からメインマストまで205ft (62.5m)
吃水28ft 9in(8.8m)
帆装3本マストシップ
最大速力11 ノット (20 km/h)
乗員850名
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

上砲列:12ポンド(5kg)砲×30門

中砲列:24ポンド(11kg)砲(英語版)×28門

下砲列:32ポンド(15kg)砲(英語版)×30門

後甲板:12ポンド(5kg)砲×12門

船首楼:12ポンド(5kg)砲×2門+68ポンド(31kg)カロネード砲×2門

装甲無し(喫水線部のオーク船材は2ft (61cm) 厚)
テンプレートを表示

ヴィクトリー (HMS Victory) は、イギリス海軍の104門1等戦列艦。1805年のトラファルガーの海戦においてホレーショ・ネルソン提督が座乗、旗艦として仏西連合艦隊の脇腹を突くべく艦隊の先鋒を務めていたことで知られる。他にもウェサン島の海戦でのオーガスタス・ケッペル提督や、スパルテル岬の海戦(英語版)でのリチャード・ハウ提督、サン・ビセンテ岬の海戦でのジョン・ジャーヴィス提督ら、多くの提督の座乗艦であった。

1922年にポーツマス乾ドックに移され、記念艦となった。ポーツマス軍港の港湾司令官や第二海軍卿の旗艦を務めていたが、2012年8月からは第一海軍卿の旗艦となった。現存する唯一の戦列艦であるとともに、世界最古の現役艦でもある(航行可能な現役艦としてはアメリカ海軍コンスティチューションが最古)。また、世界三大記念艦の一つとされている[注釈 1]
建造

1758年12月、イギリス政府の事実上の首相であった大ピットが、後にヴィクトリーとなる1等艦を含めた12隻の軍艦の建造を提議し、発注が行われた[3]。 18世紀に建造された1等戦列艦は10隻で、ヴィクトリーはそのうちの1隻だった[4]。 ヴィクトリーの建造には海軍の艦艇監督官であったトーマス・スレードが造船技師として選ばれ[5]、1756年にウリッジ工廠で進水した1等艦ロイヤル・ジョージの設計図をもとに、最低100門の砲を備える船として設計された。 チャタム工廠の工廠長はこの船の建造のため乾ドックを準備するように命令され、1759年7月23日に竜骨がオールド・シングルドック(No.2ドックと改称され、現在はヴィクトリー・ドックとなっている)に敷かれた。1760年の10月には「ヴィクトリー」という名が選定された[6]。この名が選ばれた理由には諸説あり、1つには前年の1759年に当時行われていた七年戦争でイギリスが次第に優勢になってきており、陸上ではケベックの戦いミンデンの戦い、海上ではラゴスの海戦キブロン湾の海戦と勝利 (Victory) が相次いだため、奇跡の年を記念して命名されたというもの[7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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