ヴィクトリア_(戦艦)
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2023年4月)


艦歴
起工1885年6月13日
進水1887年4月9日
竣工1890年3月19日
その後1893年6月22日にトリポリ沖で沈没
性能諸元
排水量常備:10,470トン
全長110.6 m
全幅21.3 m
吃水8.7 m
機関円缶8基
レシプロ2基2軸
14,244 馬力
速力17.3ノット
燃料搭載量石炭1,000トン
航続力10ノットで7,000海里
乗員550名
兵装41.3cm連装砲 1基
25.4cm単装砲 1基
15.2cm単装砲 12基
5.7cm単装砲12基
4.7cmm単装砲 9基
356mm魚雷発射管 4門(水上2、水中2)、同落射機 2門

ヴィクトリア (HMS Victoria) は、イギリス海軍の戦艦。ヴィクトリア級戦艦のネームシップ。ヴィクトリアはイギリス海軍で初めて三段膨張式蒸気機関で推進される戦艦であったとともに、発電機を駆動するために蒸気タービンを備えた初めてのイギリス軍艦でもあった。
艦歴

1890年3月竣工。当初は「レナウン」と命名されることになっていたが、進水がたまたまヴィクトリア女王(在位1837年 - 1901年)の在位50周年の年に行われたため「ヴィクトリア」という名前に変更された。

1893年6月22日、地中海艦隊の旗艦としてレバノントリポリ沖で演習中、戦艦キャンパーダウンと衝突、その衝角で艦腹を破られ短時間で沈没した。地中海艦隊司令長官サー・ジョージ・トライオン中将を含む358人が犠牲となった。生存者の中には、後に第一次世界大戦ユトランド沖海戦時のイギリス艦隊司令長官を務めることになるジョン・ジェリコー提督も含まれていた。
衝突事故
背景

イギリス地中海艦隊は、その当時世界で最も強力な艦隊の1つであった。イギリス海軍は、地中海を英国本土とインドを結ぶ最重要のルートと見なし、フランスイタリアの海軍の脅威に対抗するため、最も有力な艦を集中させていた。そして1893年6月22日、艦隊の大部分を構成する11隻の装甲艦(8隻の戦艦と3隻の大型巡洋艦)は、シリア(現レバノン)のトリポリ沖で毎年の夏期演習を行っていた。

地中海艦隊司令長官トライオン中将は、規律に厳格な指揮官であり、麾下の艦隊を規律正しく効率的に保つ最高の手段は艦隊運動訓練の繰り返しであると考えていた。そして実際に彼は自らの艦隊を大胆かつ自在に動かす指揮官との評判を勝ち得ていた。無線通信が発明されていなかった当時、艦隊運動は信号旗により伝達されたが、彼の特色は、複雑な操作をほんの少しの単純な信号によって指示できるようにした新しいシステム(「TAシステム」と称した)であり、その下で彼の艦隊の艦長たちは主体的な判断を求められていた。しかし、トラファルガーの海戦から数十年にわたって大きな海戦のない時代が続いたことでその主体的な判断力は弱められており、また、ネルソン提督を神格化した権威主義的な海軍においては、ネルソンがそれを重んじていたにも関わらず歓迎されざる特質となっていた。無口で気難しい指揮官であったトライオンは、部下である従順な士官たちが予期せぬ出来事に対処できるよう訓練するために、自らの意図を事前に明かすことは避けていた。
回頭ヴィクトリアの沈没までの経緯。

右列
1:ヴィクトリア(赤)
2:ナイル
3:ドレッドノート
4:インフレキシブル
5:コリングウッド
6:ファエトン

左列
7:キャンパーダウン(青)
8:エディンバラ
9:サンス・パレイル
10:エドガー
11:アンフィオン

トライオンは、第1戦隊を構成する6隻の戦列(左列)を率いて旗艦ヴィクトリアに座乗し、8ノットで前進していた。副将のヘイスティングス・マーカム少将は5隻からなる第2戦隊(右列)を率いて戦艦キャンパーダウンにあった(マーカムの通常の旗艦は戦艦トラファルガーだったが、修理中だった)。トライオンは、彼には珍しく、部下の士官と演習計画について事前に話し合っていた。それは、2つの艦隊を内側に180度逐次回頭させるというもので、これにより進行方向は逆になり、間隔は400ヤード(370m)まで狭まることになっていた。そしてこの隊形で数マイルを航行したのち、減速して90度一斉回頭して港に向かい、夜までに投錨する、という計画であった。それを聞いた士官たちは、その運動によって両戦隊は1,200ヤード(1,100m)ほど近づくため、両戦隊は少なくとも1,600ヤード(1,500m)離れていなければならない、と進言したが、実はそれでさえ安全のための余裕としては不十分だった。通常の艦の旋回半径を考慮すれば、操艦終了後に400ヤードの間隔を残すためには2,000ヤードの間隔が必要だったのである。トライオンは、士官の進言に対し8ケーブル(1,300m)の間隔の必要を認めたが、実際に戦隊に送られた信号は6ケーブル(1,000m)だった。彼の部下の士官のうち2人はその命令で良いのかどうか、おそるおそる質問したが、トライオンは無愛想にそれでよいと言った。


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