ヴィクター・ホープ_(第2代リンリスゴー侯爵)
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イギリス政治家第2代リンリスゴー侯爵
ヴィクター・ホープVictor Hope
2nd Marquess of Linlithgow

生年月日1887年9月24日
没年月日 (1952-01-05) 1952年1月5日(64歳没)
出身校イートン校
所属政党保守党[1]
称号第2代リンリスゴー侯爵ガーター勲爵士(KG)、シッスル勲爵士(KT)、インドの星勲章ナイト・グランド・コマンダー(GCSI)、インド帝国勲章ナイト・グランド・コマンダー(GCIE)、大英帝国勲章オフィサー(OBE)、枢密顧問官(PC)
インド総督兼副王
在任期間1936年4月18日 - 1943年10月1日[2]
皇帝エドワード8世
ジョージ6世
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第2代リンリスゴー侯爵ヴィクター・アレクサンダー・ジョン・ホープ(: Victor Alexander John Hope, 2nd Marquess of Linlithgow, KG, KT, GCSI, GCIE, OBE, PC1887年9月24日 - 1952年1月5日)はイギリス政治家貴族

1936年から1943年にかけてインド総督を務めた。インド人に諮ることなく独断で英領インド帝国第二次世界大戦に突入させたうえ、インド独立運動に激しい弾圧を加えた。
経歴

1887年9月24日、後に初代リンリスゴー侯爵に叙される第7代ホープトン伯爵ジョン・ホープの長男として生まれる[3]

イートン校を卒業。1908年に父の死によりリンリスゴー侯爵位を継承。国防義勇軍に入隊し、第一次世界大戦にも従軍した。戦後も軍に所属し、少佐階級まで昇進した[3]

イギリス議会においてはインド農業委員会委員長、インド憲法改正両院特別委員会委員長を務めた。その経歴から1936年にインド総督初代ウィリングドン伯爵が退任すると、その後任のインド総督に任じられた[4]

当時のイギリス領インド帝国は、1935年インド統治法により中央は英領と藩王国の連邦制、州は自治制度をとることになっていた。しかし藩王国との交渉がうまく進まず、結局連邦制への移行は実現しなかった。また1937年には初めての州議会選挙がおこなわれたが、インド国民会議が過半数を獲得し、反英運動が高まった[5]

1939年第二次世界大戦が勃発するとリンリスゴー侯爵は立法議会を無視して独断で英領インド帝国を対独戦争へ突入させた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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