ヴィエンチャン
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ラオスの首都である都市について説明しています。

首都ヴィエンチャンを内包する行政区画については「ヴィエンチャン都」をご覧ください。

かつて首都ヴィエンチャンも管轄に含んでいた県については「ヴィエンチャン県」をご覧ください。

ヴィエンチャン
ラーオ語: ??????

位置

位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ヴィエンチャンヴィエンチャン (ラオス)ラオスの地図を表示ヴィエンチャンヴィエンチャン (東南アジア)東南アジアの地図を表示

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯17度58分 東経102度36分 / 北緯17.967度 東経102.600度 / 17.967; 102.600
歴史
設立1560年
行政
ラオス
 行政区画ヴィエンチャン都
 地域ヴィエンチャン
人口
人口(2015年現在)
  地域域820,940人
その他
等時帯UTC+7 (UTC+7)
夏時間なし
ヴィエンチャンの
スカイライン

ヴィエンチャン(ラーオ語: ?????? Viang chan [?i?? t?an]、英語・フランス語:Vientiane 英語発音: [vj?n?tj??n] フランス語発音: [vj???tjan])は、ラオス人民民主共和国首都
概要

メコン川沿いに広がる。タイ王国とは、メコン川で国境を隔てている。隣国の度重なる侵攻にさらされてきたものの、仏教国の首都として政治や文化の中心を担ってきており、数々の仏教寺院や仏塔を残す。「ビャクダンのある城壁地」という意味や「月の都」という意味があるが、ラオス情報文化省は様々な説を紹介している(下記の「歴史」を参照)。街路樹が多く「森の都」とも呼ばれる。
名称について

日本語では「ヴィエンチャン」あるいは「ビエンチャン」と表記する。タイ語ローマ字における "v" は日本語におけるワ行であるため「ウィエンチャン」と書く場合もあるが、ラーオ語の "v" は「ヴァヴィヴヴェヴォ」、ときに「バビブベボ」に近い音になる。ヴィエンチャン特別市と称されることもあり、他の都地域ムアン)とは区別される。
地理

メコン川はヴィエンチャンに至るまで渓谷を流れ下っているが、ヴィエンチャンから下流では河岸平野を形成している。メコンの左岸にヴィエンチャンの市街が、右岸にウドーンターニーなどタイ王国の国土が広がる。河口からの距離は1600km弱。同国の交通の中心となっている。中心部には、外国人観光客向けのゲストハウスが集まっている。
範囲

ヴィエンチャン都のうち、首都機能を持つ5つの郡を指す。

チャンタブリー郡

シーコッタボーン郡

サイセーター郡

シーサッタナーク郡

ハートサーイフォン郡

気候

サバナ気候(Aw)。11月から3月は乾季で4月から7ヶ月間はモンスーンとなる。

ヴィエンチャンの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)28.4
(83.1)30.3
(86.5)33.0
(91.4)34.3
(93.7)33.0
(91.4)31.9
(89.4)31.3
(88.3)30.8
(87.4)30.9
(87.6)30.8
(87.4)29.8
(85.6)28.1
(82.6)31.1
(88)
平均最低気温 °C (°F)16.4
(61.5)18.5
(65.3)21.5
(70.7)23.8
(74.8)24.6
(76.3)24.9
(76.8)24.7
(76.5)24.6
(76.3)24.1
(75.4)22.9
(73.2)19.3
(66.7)16.7
(62.1)21.8
(71.2)
降水量 mm (inch)7.5
(0.295)13.0
(0.512)33.7
(1.327)84.9
(3.343)245.8
(9.677)279.8
(11.016)272.3
(10.72)334.6
(13.173)297.3
(11.705)78.0
(3.071)11.1
(0.437)2.5
(0.098)1,660.5
(65.374)
平均月間日照時間254.2217.5217.0225.0207.7153.0148.8136.4138.0248.0234.0257.32,436.9
出典:WMO [1] 2010-10-31

人口
推計人口


70万人(
2005年

82万人(2015年

歴史ヴィエンチャン最古の寺院であるワット・シーサケット

ヴィエンチャンの街は12世紀に既に形成されていた。

1560年セーターティラート王がビルマ族タウングー王朝の圧迫からラーンサーン王国の都をルアンパバーンからヴィエンチャンに遷都した。

ラオス政府情報文化省版「ラオスの歴史」によれば、ヴィエンチャンがラオス・ラーンサーン王国の首都になったときの正式名称は、 「プラ・ナコーン・チャンタブリー・シー・サッタナーカナフット・ウッタマ・ラーサターニー」。

「イサーン・タイ・英語辞典」では、「サッタナーカナフット」を「サタ(百)」「ナーカ(象)」「ナフット(万)」に分解して、「サッタナーカナフット」を「百万頭の象(ラーンサーン)」のパーリ語訳と言う解釈を乗せている。

ラオス情報文化省版「ラオスの歴史」では、「サッタ」を7に、「ナーカ」をナーガに解して、「7つの頭を持ったナーガ」と解釈している。

また、セーターティラート王は、ヴィエンチャンに遷都する前に、パニャー・チャンタブリー・シー・サッタンマタイロークをヴィエンチャンの領主に任じている。この領主が建てた寺院が今もヴィエンチャンにある「チャン寺」である。これは「チャンタブリー・シー・サッタンマタイローク寺」の略称である。

ラオス情報文化省版「ラオスの歴史」は、ヴィエンチャンのチャンは栴檀(せんだん)だという伝承を紹介している。プーカオクワーイに住む仙人の兄弟が、ヴィエンチャンが出来る前の土地にクーンの木とチャンの木(栴檀)で目印をつけたという。しかし、同書が正式な説として採用しているのは以下の説である。

ラオス仏教の象徴的存在であるタート・ルアンナンスー・ウランタートという本に記されているもので、釈迦と弟子のアーナンダがポーンパナオ近辺(現在のヴィエンチャン市内のポーンパナオ寺近辺)に来たときに、「ここらにはナーガや虎が多い」と言った。その後、シコータボーン王国の領主の血筋の一人がヴィエンチャン市内の北の外れのカオリヤオ地区に移住してきた時、孫娘のインタサワーンロンホートが、釈迦が「虎が多い」と言った所に住んでいたブーリーチャンという農民と結婚した。それを聞いたシコータボーン王国のパニャー・スミッタタムマヴォンサーが農民を祝福して、パークカディン以北の領有権をブーリーチャンに与えたのが、ヴィエンチャンの始まりという。

1707年、ラーンサーン王国が分裂した際、ヴィエンチャン王国の首都となる。

1779年チャクリー王国(現在のタイ)のチャオプラヤー・チャックリー将軍(チュラーローク王=のちチャクリー王朝ラーマ1世)に征服され、チャクリー王国の領土となる。

1827年アヌ王がクーデターに失敗した際、シャム軍に滅ぼされる。

1893年、ラオスがフランス保護国となり、1899年にその首都とされた。

第二次世界大戦中は日本に占領されるが、1945年4月にフランスが再び進駐した。

1947年ラオス王国が成立するとその首都とされた。しかし、ラオス内戦が起こるとヴィエンチャンは荒廃してしまう。

1960年8月、コーン・レー大尉がヴィエンチャンを掌握、スワンナ・プーマが首相に就いた。

1975年パテート・ラーオが進軍しラオス人民民主共和国が誕生し、その首都となった。ベトナム戦争時には、アメリカ合衆国国際開発庁 (USAID) が置かれていた。

政治ヴィエンチャン道路1号線にあるラオス日本の友情を改善するための日本政府の助成金を記念する記念碑
日本との関係

第二次世界大戦中、大東亜共栄圏の名のもとにフランスからの植民地解放と共に占領された歴史を持つ。

終戦後、日本は撤退し、再びフランスが進駐した。2年後にラオス内戦が勃発し、その内戦後の復興に日本政府から協力の為に多くの助成金が送られ、このことをきっかけに少しずつ関係改善へと歩みを進めた。2015年平成27年)11月3日には、京都市とパートナーシティ提携を締結するなど、相互交流が進められている。
対外関係
姉妹都市・提携都市

京都市日本国 近畿地方 京都府

バンコクタイ王国 バンコク都

チッタゴンバングラデシュ人民共和国 チッタゴン管区

プノンペンカンボジア王国 プノンペン都

ホーチミンシティベトナム社会主義共和国 直轄市

チルボンインドネシア共和国 ジャワ地方 西ジャワ州

経済

ヴィエンチャン市内は、中国資本の影響が多く見られる。
第三次産業
商業
主な商業施設


ヴィエンチャンセンター

ラサヴォンプラザ

タラートサオモール

ワールドトレードセンター

ITECCモール

View Mall

金融
金融センター

ラオス証券取引所

ビエンチャン天階

医療

ミタパープ病院

マホソット病院

セタティラート病院

103軍病院

フレンチクリニック

アライアンスインターナショナルメディカルセンター

教育
大学

ラオス国立大学

交通タイ=ラオス友好橋中老高速ビエンチャン料金所

メコン川をはさんでタイノーンカーイ県の国境に面していて、ヴィエンチャンの郊外から対岸のタイ領へ行く船が河川港から出ており、ヴィエンチャンの住民はビザ無しでノーンカーイまで行くことが国際協定によって許されている。ノーンカーイには、1994年4月に開通したタイ=ラオス友好橋(ミタパブ)を渡っても行くことができ、ヴィエンチャン発バンコク行きなどの国境を越えるバスも運行されている。
空路
空港

ワットタイ国際空港

鉄道

2008年7月には、タイのノーンカーイ駅からタイ=ラオス友好橋を経由して線路を6.15キロ延長、郊外にターナレーン駅が設置された。竣工後試運転が行われて来たが、2009年3月6日に、1日2往復の定期旅客列車の運行が始まった。2023年10月30日、サイセッタ郡(タートルアン湿地特定経済区付近)にカムサワート駅が開業した[2]

2021年12月3日に中国ラオス鉄道が開通。ヴィエンチャン郊外には以下の駅がある。

ヴィエンチャン駅(主要貨客駅)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef