ヴィエンチャン
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この項目では、ラオスの首都である都市について説明しています。

首都ヴィエンチャンを内包する行政区画については「ヴィエンチャン都」をご覧ください。

かつて首都ヴィエンチャンも管轄に含んでいた県については「ヴィエンチャン県」をご覧ください。

ヴィエンチャン
ラーオ語: ??????

位置

位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯17度58分 東経102度36分 / 北緯17.967度 東経102.600度 / 17.967; 102.600
歴史
設立1560年
行政
ラオス
 行政区画ヴィエンチャン都
 地域ヴィエンチャン
人口
人口(2015年現在)
  地域域820,940人
その他
等時帯UTC+7 (UTC+7)
夏時間なし
ヴィエンチャンの
スカイライン

ヴィエンチャン(ラーオ語: ?????? Viang chan [?i?? t?an]、英語・フランス語:Vientiane 英語発音: [vj?n?tj??n] フランス語発音: [vj???tjan])は、ラオス人民民主共和国首都
概要

メコン川沿いに広がる。タイ王国とは、メコン川で国境を隔てている。隣国の度重なる侵攻にさらされてきたものの、仏教国の首都として政治や文化の中心を担ってきており、数々の仏教寺院や仏塔を残す。「ビャクダンのある城壁地」という意味や「月の都」という意味があるが、ラオス情報文化省は様々な説を紹介している(下記の「歴史」を参照)。街路樹が多く「森の都」とも呼ばれる。
名称について

日本語では「ヴィエンチャン」あるいは「ビエンチャン」と表記する。タイ語ローマ字における "v" は日本語におけるワ行であるため「ウィエンチャン」と書く場合もあるが、ラーオ語の "v" は「ヴァヴィヴヴェヴォ」、ときに「バビブベボ」に近い音になる。ヴィエンチャン特別市と称されることもあり、他の都地域ムアン)とは区別される。
地理

メコン川はヴィエンチャンに至るまで渓谷を流れ下っているが、ヴィエンチャンから下流では河岸平野を形成している。メコンの左岸にヴィエンチャンの市街が、右岸にウドーンターニーなどタイ王国の国土が広がる。河口からの距離は1600km弱。同国の交通の中心となっている。中心部には、外国人観光客向けのゲストハウスが集まっている。
範囲

ヴィエンチャン都のうち、首都機能を持つ5つの郡を指す。

チャンタブリー郡

シーコッタボーン郡

サイセーター郡

シーサッタナーク郡

ハートサーイフォン郡

気候

サバナ気候(Aw)。11月から3月は乾季で4月から7ヶ月間はモンスーンとなる。

ヴィエンチャンの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)28.4
(83.1)30.3
(86.5)33.0
(91.4)34.3
(93.7)33.0
(91.4)31.9
(89.4)31.3
(88.3)30.8
(87.4)30.9
(87.6)30.8
(87.4)29.8
(85.6)28.1
(82.6)31.1
(88)
平均最低気温 °C (°F)16.4
(61.5)18.5
(65.3)21.5
(70.7)23.8
(74.8)24.6
(76.3)24.9
(76.8)24.7
(76.5)24.6
(76.3)24.1
(75.4)22.9
(73.2)19.3
(66.7)16.7
(62.1)21.8
(71.2)
降水量 mm (inch)7.5
(0.295)13.0
(0.512)33.7
(1.327)84.9
(3.343)245.8
(9.677)279.8
(11.016)272.3
(10.72)334.6
(13.173)297.3
(11.705)78.0
(3.071)11.1
(0.437)2.5
(0.098)1,660.5
(65.374)
平均月間日照時間254.2217.5217.0225.0207.7153.0148.8136.4138.0248.0234.0257.32,436.9
出典:WMO [1] 2010-10-31

人口
推計人口


70万人(
2005年

82万人(2015年

歴史ヴィエンチャン最古の寺院であるワット・シーサケット

ヴィエンチャンの街は12世紀に既に形成されていた。

1560年セーターティラート王がビルマ族タウングー王朝の圧迫からラーンサーン王国の都をルアンパバーンからヴィエンチャンに遷都した。

ラオス政府情報文化省版「ラオスの歴史」によれば、ヴィエンチャンがラオス・ラーンサーン王国の首都になったときの正式名称は、 「プラ・ナコーン・チャンタブリー・シー・サッタナーカナフット・ウッタマ・ラーサターニー」。

「イサーン・タイ・英語辞典」では、「サッタナーカナフット」を「サタ(百)」「ナーカ(象)」「ナフット(万)」に分解して、「サッタナーカナフット」を「百万頭の象(ラーンサーン)」のパーリ語訳と言う解釈を乗せている。

ラオス情報文化省版「ラオスの歴史」では、「サッタ」を7に、「ナーカ」をナーガに解して、「7つの頭を持ったナーガ」と解釈している。

また、セーターティラート王は、ヴィエンチャンに遷都する前に、パニャー・チャンタブリー・シー・サッタンマタイロークをヴィエンチャンの領主に任じている。この領主が建てた寺院が今もヴィエンチャンにある「チャン寺」である。これは「チャンタブリー・シー・サッタンマタイローク寺」の略称である。

ラオス情報文化省版「ラオスの歴史」は、ヴィエンチャンのチャンは栴檀(せんだん)だという伝承を紹介している。プーカオクワーイに住む仙人の兄弟が、ヴィエンチャンが出来る前の土地にクーンの木とチャンの木(栴檀)で目印をつけたという。しかし、同書が正式な説として採用しているのは以下の説である。

ラオス仏教の象徴的存在であるタート・ルアンナンスー・ウランタートという本に記されているもので、釈迦と弟子のアーナンダがポーンパナオ近辺(現在のヴィエンチャン市内のポーンパナオ寺近辺)に来たときに、「ここらにはナーガや虎が多い」と言った。その後、シコータボーン王国の領主の血筋の一人がヴィエンチャン市内の北の外れのカオリヤオ地区に移住してきた時、孫娘のインタサワーンロンホートが、釈迦が「虎が多い」と言った所に住んでいたブーリーチャンという農民と結婚した。それを聞いたシコータボーン王国のパニャー・スミッタタムマヴォンサーが農民を祝福して、パークカディン以北の領有権をブーリーチャンに与えたのが、ヴィエンチャンの始まりという。

1707年、ラーンサーン王国が分裂した際、ヴィエンチャン王国の首都となる。

1779年チャクリー王国(現在のタイ)のチャオプラヤー・チャックリー将軍(チュラーローク王=のちチャクリー王朝ラーマ1世)に征服され、チャクリー王国の領土となる。

1827年アヌ王がクーデターに失敗した際、シャム軍に滅ぼされる。

1893年、ラオスがフランス保護国となり、1899年にその首都とされた。

第二次世界大戦中は日本に占領されるが、1945年4月にフランスが再び進駐した。

1947年ラオス王国が成立するとその首都とされた。しかし、ラオス内戦が起こるとヴィエンチャンは荒廃してしまう。


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