ヴァン・ダイン
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S・S・ヴァン・ダイン
S. S. Van Dine

誕生ウィラード・ハンティントン・ライト
1888年10月15日
アメリカ合衆国ヴァージニア州
死没 (1939-04-11) 1939年4月11日(50歳没)
国籍 アメリカ合衆国
ジャンル推理小説
代表作『グリーン家殺人事件』(1928年)
僧正殺人事件』(1929年)
デビュー作『ベンスン殺人事件』(1926年)
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S・S・ヴァン・ダイン(S. S. Van Dine, 1888年10月15日 - 1939年4月11日)は、アメリカ合衆国推理作家・美術評論家。本名はウィラード・ハンティントン・ライト (Willard Huntington Wright)。名探偵ファイロ・ヴァンス (Philo Vance) を生み出した。
経歴

1888年にアメリカ・ヴァージニア州に生まれる。ハーバード大学卒業後、美術評論家として雑誌や新聞に寄稿した。しかし生活への不安や第一次大戦中の緊張などから健康を害し、1923年に神経衰弱にかかり長期療養を余儀なくされる。医者から仕事や学問を止められたため書物を読むことができず、交渉の末、暇つぶしに軽い小説を読むことを許されたが、冒険物や恋愛物を読む気にはなれなかった結果、英国ミステリーに行き着いた。2年間で過去75年間、2000冊もの推理小説を読破して体系的な研究を重ね、「経験の浅い他の作家がこれだけ成功するのなら自分にもできないことはあるまい」と考えるようになった。これが、自叙伝『半円を描く』で語られているミステリー作家としての出発点である[1]

ただしこれは虚偽で、原稿が売れず、自棄になって麻薬中毒となり、借金で首が回らなくなったためミステリーに手を染めたという説もある(ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン: ファイロ・ヴァンスを創造した男』、1992年)[2]

退院後にミステリーを書き始め、1926年に第1作『ベンスン殺人事件』を上梓、たちまち評判となる。版元はスクリブナー社で、担当編集者はF・スコット・フィッツジェラルドアーネスト・ヘミングウェイの編集者としても知られるマクスウェル・パーキンスである。その後、死去するまでに12作の長編推理小説といくつかの犯罪実話を執筆した。さらにアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を酷評するなどの評論や、『世界短編傑作集』(序文に推理小説を書く上での鉄則を記したいわゆるヴァン・ダインの二十則がある)などのアンソロジーなども精力的に発表した。

12作の長編全てに、名探偵ファイロ・ヴァンスが活躍する。ヴァン・ダインは面白い長編小説を書くのは、一作家6作が限度だろうとしていた。その言葉通り、12作のうち前期6作、とくに『グリーン家殺人事件』や『僧正殺人事件』の評価は高い[3]。対照的に、後期6作の評価は芳しいものではない。例として、10作目の『誘拐殺人事件』ではヴァンスが決闘に臨んだりギャングと銃撃戦を繰り広げるなど、当時流行していたハードボイルドを意識した作品となっており、11作目の『グレイシー・アレン殺人事件』は、映画製作を前提として実在の女性コメディアンをフィーチャーして執筆されたもので、ドタバタ味の濃いユーモアミステリーとなっている。また、最終作の『ウインター殺人事件』は、完成稿に取りかかる前に作者が亡くなったため、作風である衒学趣味的な言説がほとんど見られない作品となっている。

自国の本格ミステリー小説が低迷していたアメリカに彗星の如く現れ、以後のミステリーに多くの影響を与えた。以後のアメリカ本格派を代表していたエラリー・クイーンも、その影響を公言している。現在は本国では半ば忘れられかけた存在だが、日本では依然人気が高く、全作品が文庫化されて版を重ねている。
著作
ファイロ・ヴァンスもの

早川書房HPBとは早川書房のポケットブックスをさす。同叢書は「世界探偵小説全集」、「早川ミステリ」、「ハヤカワ ミステリ」などと名称を変更しているが同一叢書である。
長編

The Benson Murder Case, 1926年

『ベンソン家の惨劇』
平林初之輔春陽堂「探偵小説全集13」 1930年 *抄訳


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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