ヴァンダービルト家
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ヴァンダービルト家
Vanderbilt
ヴィンダービルト家の墓地
名の由来Van der Bilt(from de Bilt)
過去の綴りVan der Bilt, van Derbilt
民族オランダ系アメリカ人

根拠地ヴァンダービルト家の邸宅
現居住地アメリカ合衆国東海岸
著名な人物コーネリアス・ヴァンダービルト
ウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルト
グロリア・ヴァンダービルト
アンダーソン・クーパー
ジョン・ハモンド
ティモシー・オリファント
伝統モラヴィア兄弟団
米国聖公会

ヴァンダービルト家(: Vanderbilt family)は、アメリカ合衆国で19世紀前半に社会的に有名となった鉄道王の一族である。

一家の財産は海運業と鉄道事業の有力者コーネリアス・ヴァンダービルトによって築かれ、最終的に様々な産業に手を広げ、20世紀には慈善事業も行なうようになった。コーネリアスの息子で後継者のウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルトは財産を増やし、1877年に亡くなるまで世界一裕福であった。彼の子孫はニューヨークロードアイランド州ニューポートノースカロライナ州アシュビルバーモント州マサチューセッツ州レノックスなど様々な場所に邸宅を建てた。しかし彼らの栄光は20世紀終盤になると終息していった。

5番街にあった彼らの邸宅のほとんどは取り壊され、その他の邸宅は売却されたり博物館となったりした。しかし結果的に歴史上7番目に裕福な一族となった。この姓は元々オランダからきている。

現在子孫はアメリカ合衆国東海岸イギリスに住んでいる。
歴史

一族の栄光はニューヨーク州スタテンアイランドの下流家庭の9人兄弟の4番目のコーネリアス・ヴァンダービルト(1794年 - 1877年)から始まった。彼の高祖父の父ジャン・アートソン(1620年 - 1705年)は1650年、年季奉公としてニューネーデルラントのオランダ植民地に来た、オランダユトレヒト州デ・ビルトの村出身の農民であった。村の名前は『ヴァンダー』(オランダ語で「から来た」)が加えられて『ヴァンダービルト』(ビルトから来た)となり、ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)がイギリスに引き渡された時、ヴァンダービルトの姓を名乗るようになった。一家はオランダ貴族ヴァン・ダー・ビルトと関連がある[1]

コーネリアスは11歳で学業から離れ、19世紀、海運業を起こし、鉄道王となり、世界で最も裕福な人物の一人となった。

一家は1875年頃植民されたミシガン州コーウィズ・タウンシップを所有。1880年、ミシガン・セントラル鉄道を所有していた時、ミシガン州ヴァンダービルトという村ができた。コーネリアスは常に質素な家に住んでいたのだが、家族たちはその富を利用して豪華な大邸宅を建てようとした。1877年の彼の死の直前、テネシー州ナッシュビルヴァンダービルト大学を建てるために100万ドルを寄付。2011年のレートで換算すると1億4,900万ドル相当である[2]

家族たちはアメリカのビジネス界で豪商として名を馳せ、世界中の芸術家のパトロンとなり、まさに『金ぴか時代』を生きていた。

ルシタニアの沈没で亡くなったアルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト(1877年 - 1915年)など、コーネリアスの孫やひ孫の何人かは起業家として多方面で成功した。アルフレッドの次男のアルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト2世(1912年 - 1999年)は馬のブリーダーとなり競馬界の重鎮となった。ハロルド・スターリング・ヴァンダービルト(1884年 - 1970年)はヨット・レースのアメリカスカップで3度優勝するなどスポーツ界で有名となる。ハロルドの兄のウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト2世(1878年 - 1944年)は自動車競技ヴァンダービルト杯を創設。コーネリアス・ヴァンダービルト4世(1898年 - 1974年)は熟練した作家、新聞社創設者、映画プロデューサーであった。

コーネリアスは南北戦争で北軍に蒸気機関車SSヴァンダービルトを寄付したことで政府から金メダルを受賞したことがある。このメダルはヴァンダービルト家のシンボルとして受け継がれている。

1855年、准将コーネリアス・ヴァンダービルトはスタテンアイランドのニュー・ドロップの墓地とモラヴィア教会に8.5エーカー(34,000 m2)の土地を寄付。後に息子のウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルトはさらに4エーカー(16,000 m2)の土地を寄付した。モラヴィア墓地のこの区画の一部はヴァンダービルト家のために保持され、ヴァンダービルト家の幾人かはこの霊廟に埋葬されている。この霊廟は1885年、建築家のリチャード・モリス・ハントにより再設計された。

著名な経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスはヴァンダービルト家のうちの何人かは富を得る才能があり、巨額の寄付をしたりしていたが、それは自己満足の一環であっただろうと語った。

ガルブレイスの見解を裏付けるようにコーネリアス没後たった48年間で直系の子孫の1人は貧困のために亡くなった。コーネリアス没後から70年で、ニューヨーク5番街にあった最後の10軒の大邸宅は取り壊された。1973年、ヴァンダービルト大学にて第一回親族会が行なわれた。

マールバラ公セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵のようなヨーロッパの貴族と婚姻関係を結ぶことがあった。

ヴァンダービルト家の現在の名残はヴァンダービルト大学、マンハッタンミッドタウンのヴァンダービルト家によって建てられたグランド・セントラル駅そばのヴァンダービルト通りなど。現在のヴァンダービルト家の子孫はルーマニア人、オランダ人とルーマニア人の混血である。今でも世界で7番目に裕福な家系のままである。
家族関係
初代コーネリアスとその子供たち

コーネリアス・ヴァンダービルト (1794?1877)

フェブ・ジェーン・ヴァンダービルト (1814?1878)

エセリンダ・ヴァンダービルト (1817?1889)

エリザ・ヴァンダービルト(1819?1890) - ジョージ・アーチャー・オスグッドと結婚。ニューヨーク市ブロンクス区ウッドロウン墓地に埋葬。

ウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルト (1821?1885) - 後述

エミリー・アルミラ・(ヴァンダービルト・)ソーン (1823?1896) - 後述

ソフィア・ジョンソン・(ヴァンダービルト・)トーランス (1825?1912)

マリア・ルイザ・(ヴァンダービルト・)クラーク・ニーヴェン (1827?1896)

フランセス・ラヴィニア・ヴァンダービルト (1828?1868)

コーネリアス・ジェレミー・ヴァンタービルト(en:Cornelius Jeremiah Vanderbilt)(1830?1882) - 自殺

ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト (1832?1836) - 夭折

メアリー・アリシア・(ヴァンダービルト・)ラバウ・バーガー (1834?1902)

キャサリン・ジュリエット・(ヴァンダービルト・)バーカー・ラファイエット (1836?1881)

ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト (1839?1864) - 南北戦争で戦死


初代の長男ウィリアム・ヘンリーとその子孫

(太字はウィリアム・ヘンリーの子)



ウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルト (1821?1885)

コーネリアス・ヴァンダービルト2世 (1843?1899)


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