ヴァルドルフ_(バーデン)
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この項目では、バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡の市について説明しています。その他の用法については「ヴァルドルフ」をご覧ください。

紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:カールスルーエ行政管区
郡:ライン=ネッカー郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度18分18秒 東経08度38分43秒 / 北緯49.30500度 東経8.64528度 / 49.30500; 8.64528座標: 北緯49度18分18秒 東経08度38分43秒 / 北緯49.30500度 東経8.64528度 / 49.30500; 8.64528
標高:海抜 110 m
面積:19.91 km2
人口:

15,473人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:777 人/km2
郵便番号:69190
市外局番:06227
ナンバープレート:HD
自治体コード:

08 2 26 095
行政庁舎の住所:Nuslocher Strase 45
69190 Walldorf
ウェブサイト: ⇒www.walldorf.de
首長:クリスティアーネ・シュタープ (Christiane Staab)
郡内の位置

地図

ヴァルドルフ (ドイツ語: Walldorf, ドイツ語発音: [?vald?rf] ( 音声ファイル)[2]) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州北部のライン=ネッカー郡北中部に位置する小都市。マンハイムとは近隣にある小都市でもあり、すぐ南にヴィースロッホがある。
概要

アウトバーンの同名のジャンクションSAPの本社があることで広く知られている。隣接するヴィースロッホとともに総人口6万人ほどの地域を管轄する中級中心都市を形成している。ヴァルドルフはヨーロッパで最も裕福な都市の一つであり、ドイツで最も経済的魅力のある町として、これまでにもたびたび表彰されている。

この町は、ヴァルドルフ学校や、この町からの移住者ジョン・ジェイコブ・アスターが創設したニューヨークウォルドルフ=アストリア・ホテルおよび、そこで発明されたウォルドーフサラダの、間接的ながら、名前の元となった。

北にフランクフルト・アム・マインダルムシュタットロルシュなどがあり、住民構成はマインツ、マンハイム同様に、中部ドイツ語のうちプファルツ語に属するクーアプファルツ語(ドイツ語版)を言語とする住民が多い。
歴史

ヴァルドルフは、770年10月20日のロルシュ修道院の寄贈証明書に初めて記録されている。出土品からもっと古い時代から広場を中心とした入植地があったことが知られており、ここから後に森 (Wald) に囲まれた村 (Dorf) が造られた。

1230年ライン宮中伯はヴァルドルフを帝国レーエンとして獲得した。ドイツ農民戦争三十年戦争でヴァルドルフは戦闘や略奪の場となった。プファルツ継承戦争では1689年に完全に破壊され、数年後に再び入植が始まった。他のプファルツ選帝侯領の町と同じく、新しい入植者はスイスからの宗教亡命者が多く、その中にはアスター家も含まれていた。

19世紀の初めにヴァルドルフはバーデン領となった。1843年に始まったマンハイムからカールスルーエへのラインタール鉄道の建設によりこの町は19世紀に最初の経済的躍進を遂げた。1901年にバーデン大公フリードリヒ1世はヴァルドルフに都市権を与えた。第二次世界大戦後にはハイデルベルクの印刷機メーカーが進出し、70年代にはERPソフトウェア大手のSAPが本社を置いた。これによりヴァルドルフは、この地域で最も魅力的で最も裕福な町となった。

ヴァルドルフは、2006 FIFAワールドカップの際に、コスタリカのキャンプ地となった(6月9日から6月21日)。
行政市庁舎
市議会

ヴァルドルフの市議会は、22人の議員からなる。
市長

1998年 - 2011年: ハイツ・メルクリンガー (
CDU)

2011年 - : クリスティアーネ・シュタープ (CDU)

紋章

図柄: 赤地に緑の土地。そこにドングリをつけた銀のオークの木 (Eichbaum) 。この紋章は、16世紀半ばに初めて登場した印章に基づいている。オークの木は、おそらく村の名前 Wald-Dorf(森の村)にちなんで選択されたと思われる。1900年以降にヴァルドルフが用いた紋章には宿根草 (Eichenstaude) が描かれていた。長年にわたる修正に向けての努力の結果、1967年に再びオークの木の紋章が認可された。ヴァルドルフの旗は、白 - 赤である。
友好都市

アストリアUSAオレゴン州)1963年

クルクラーレリトルコクルクラーレリ県)1970年

サン・マックス(フランスムルト=エ=モゼル県)1985年

ウォルドーフ(USA、メリーランド州)2002年

フリーポート(USA、ニューヨーク州)2003年

ヴァルドルフ(ドイツテューリンゲン州)2007年

文化と見所
建築プロテスタント教会カトリック教会
アスターハウス
ジョン・ジェイコブ・アスターは1848年に亡くなる際、故郷ヴァルドルフに貧困者救済資金として5万マルクを遺贈した。この資金で建設されたのがこのアスターハウスで、1854年から1937年まで救貧院として用いられた。1970年以降この建物は、展示面積400m2の郷土博物館として利用されている。また、一部は戸籍役場などにもなっている。
プロテスタント教会
この都市の、文字通りの意味で「突出した」記念建造物がプロテスタント教会である。この教会堂は、1858年から61年に建設されたネオゴシック様式の三翼からなるホール式教会である。内部には創建当時のオリジナルな部分が散見される。特に注目すべきは、ヨーゼフ・アントン・ニコラウス・ゼッテガストによる十字架上のキリストを描いた祭壇画である。
カトリック教会
さらに古いのがカトリック教会である。現在の後期バロック様式の建物は1787年から91年に先行する壁の跡を利用して建てられた物である。見所は、鐘楼のルカ、マルコ、マタイ、ヨハネの四使徒を描いた15世紀のフレスコ画や、1716年から1742年にこの地を治めた選帝侯カール・フィリップの豪華な装飾紋章である。
ラウレンティウス礼拝堂
歴史上の宝とも言うべきは、1783年建造のラウレンティウス礼拝堂である。この建物は、1764年に解体されたゴシック様式の城内礼拝堂を移築した可能性があり、だとすればジッキンゲン家の旧城館の現存する数少ない遺構となる。すぐ隣に建つ18世紀の木組み建築ベルゼは、ジッキンゲン家の主館である。その大地下倉庫は、中世の砦の遺構である可能性がある。


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