ヴァルター・グロピウス
グロピウス(1955年)
生誕1883年5月18日
ドイツ帝国
プロイセン王国
ベルリン
死没 (1969-07-05) 1969年7月5日(86歳没)
アメリカ合衆国
マサチューセッツ州
ケンブリッジ
国籍ドイツ国→アメリカ合衆国
職業建築家
受賞RIBAゴールドメダル (1955)
AIAゴールドメダル (1959)
所属ペーター・ベーレンス (1908 - 1910)
TAC
ヴァルター・アードルフ・ゲオルク・グローピウス(Walter Adolph Georg Gropius, 1883年5月18日 - 1969年7月5日)は、モダニズムを代表するドイツの建築家。
近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に)の一人とされる。世界的に知られた教育機関(学校)である「バウハウス」の創立者であり、1919年から1928年まで初代校長を務めた。 1883年5月18日、ベルリンに生まれる。カルル・フリードリッヒ・シンケルの弟子であったマルティン・グロピウスの大甥に当たる。 1903年-1907年にミュンヘンやベルリンの工科大学で建築を学んだ。卒業後、ペーター・ベーレンスの事務所に入り(1908年-1910年)ミース・ファン・デル・ローエと出会い、ミュンヘンのドイツ工作連盟(DWB) にも参加した。1911年の『ファグスの靴型工場』は、後のバウハウス校舎を思わせる鉄とガラスを用いた初期モダニズム建築であった。同年、アルマ・マーラーと結婚。1915年、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデからヴァイマルの工芸学校を託された。 1919年国立バウハウス開校、初代校長となった。当初は総合芸術としての建築教育を目指すものであったが、美術家カンディンスキーらの前衛的造形教育の場となった。『ヴァイマル・バウハウス校長室のインテリア』(1923年)は、モダンデザインによって統一された空間であり、記念碑的作品とされる。デッサウのバウハウス 1925年、バウハウスはデッサウに移行、デッサウ市立バウハウスとなった。『デッサウの校舎』(1926年)はグロピウスの設計によるもの[1] で、著書『国際建築』(1925年、バウハウス叢書第1巻)とともにモダニズム建築の代表作として世界中に知られるようになった。また、デッサウ市の依頼で、郊外に集合住宅(ジードルング)を建設した(1926年 - 1928年)。グロピウスはハンネス・マイヤーを後任に指名し、1928年に校長を退いた。 1923年 離婚。 1930年頃 ベルリンの集合住宅建設に当たった。バウハウス閉鎖後, 1932年事務所にいた山口文象と共にドイツを脱出、自身は1934年イギリスに亡命する。日本の横浜生まれのカナダ人建築家, ウェルズ・コーツ
生涯
1919年以降
1937年、ハーバード大学に招かれ、アメリカに赴いた。ここでI.M.ペイ、フィリップ・ジョンソンらを育てた。また、共同設計事務所TAC(The Architects Collaborative)を設立。超高層ビルのパンナムビル(1958年、現メットライフビル。ピエトロ・ベルスキらと共同設計)などを設計した[2]
第二次大戦後の母国ドイツにおいても、設計を行う機会を得ている。まず1952年にはベルリンのハンザ地区で行われた国際建築展に参加し、高層住宅を実現させている。さらに、1960年代に、ベルリン南部のノイケルン地区に、グロピウス・シュタット(de)と呼ばれる、集合住宅が建ち並ぶ広さ266haと大規模な郊外住宅地を設計している。
1969年7月5日、マサチューセッツ州ケンブリッジにて86歳で死去。 グロピウスは著書『国際建築』(1925年)で、造形は機能に従うものであり、国を超えて、世界的に統一された様式をもたらすと主張した。1926年の「バウハウス校舎」は、まさにその実例となることを意図して設計された。1932年にフィリップ・ジョンソンの企画によりニューヨーク近代美術館でインターナショナル・スタイル(国際様式)の展覧会を企画し、建築界の主流になっていった。 アメリカ移住後のグロピウスの実作はそれほど多くないが、大学教育を通じてアメリカにおけるモダニズム建築の普及に影響力を持った。超高層ビルにおけるインターナショナル・スタイルの普及は、ミース・ファン・デル・ローエやSOMの手にゆだねられた。 ハーバード大学建築科長として活躍したが、アルマ・マーラーとのスキャンダルでも知られた。
作品
ベルリンのハンザ地区に建つ高層住宅 ジードルング
グロピウス・ハウス(マサチューセッツ州リンカーン)
メットライフビル
評価
著書(日本語訳)
『国際建築』 貞包博幸訳、中央公論美術出版〈バウハウス叢書1〉、1991年、新版2020年
『バウハウス工房の新製品』 宮島久雄訳、中央公論美術出版〈バウハウス叢書7〉、1991年、新版2019年
『デッサウのバウハウス建築』 利光功訳、中央公論美術出版〈バウハウス叢書12〉、1995年、新版2020年
『生活空間の創造』 蔵田周忠・戸川敬一共訳、彰国社、1958年、再版1976年ほか - 講義録を元にしている。
『デモクラシーのアポロン 建築家の文化的責任』 桐敷眞次郎訳、彰国社、1972年/ちくま学芸文庫(新版)、2013年 - 遺著の評論集。
脚注^ 写真集 『ヴァルター・グロピウス バウハウス1925?26、ファグス工場1911?25』 二川幸夫企画・撮影、デニス・シャープ解説(GAグローバル・アーキテクチュア.70、A.D.A.EDITA Tokyo、1994年)。にも詳しい。
^ 主な作品紹介に、『ヴァルター・グロピウス』 ギルベルト・ルプファー、パウル・ジーゲル、TASCHEN(タッシェン・ジャパン)、2010年。がある
関連項目
バウハウス
ヴァイマルおよびデッサウのバウハウスとその関連遺産群(世界遺産)
ベルリンのモダニズム集合住宅群(世界遺産)
アールフェルトのファグス靴工場(世界遺産)
モダニズム建築
ソビエト宮殿
ヤコーブス・ヨハネス・ピーター・アウト
外部リンク
⇒建築と活字 ヴァルター・グロピウス『建築はどうあるべきか』(日本語)
表
話
編
歴
RIBAゴールドメダル受賞者
1881-1900
81: ジョージ・ゴドウィン(英語版)
82: ハインリッヒ・フォン・Ferstel(英語版)
83: フランシス・ペンローズ(英語版)
84: ウィリアム・バターフィールド(英語版)
85: ハインリヒ・シュリーマン
86: シャルル・ガルニエ
87: ユアン・クリスチャン(英語版)
88: バロン・フォン・ハンセン・Theophil(英語版)
89: チャールズ・トーマス・ニュートン(英語版)
90: ジョン・ギブソン(英語版)
91: アーサー・ブロムフィールド(英語版)
92: セザール・デイリー(フランス語版)
93: リチャード・モリス・ハント(英語版)
94: レイトン卿
95: ジェームズ・ブルックス(英語版)
96: アーネスト・ジョージ(英語版)
97: ピエール・コイペルス(英語版)
98: ジョージ・Aitchison(英語版)
99: ジョージ・フレデリックボドリー(英語版)
00: ロドルフォ・Lanciani(英語版)
1901-1930
01: 受賞者なし
02: トーマス・エドワード・コルカット(英語版)
03: チャールズ・フォレン・マッキム
04: オーギュスト・ショワジー(英語版)
05: アストン・ウェッブ(英語版)
06: ローレンス・アルマ=タデマ
07: ジョン・ベルチャー(英語版)
08: オノレ・Daumet(英語版)
09: アーサー・エヴァンズ
10: トーマス・グラハム・ジャクソン(英語版)
11: ヴィルヘルム・デルプフェルト
12: バジル・チャンプニーズ(英語版)
13: レギナルド・ブロムフィールド
14: ジャン=ルイ・パスカル
15: フランク・ダーリン(英語版)
16: ロバート・アンダーソン(英語版)
17: アンリ・ポール・Nenot(英語版)
18: アーネスト・ニュートン(英語版)
19: レオナルド・ストークス(英語版)
20: チャールズ・ジロー(英語版)
21: エドウィン・ラッチェンス
22: トーマス・ヘースティングズ(英語版)
23: ジョン・ジェイムズ・バーネット(英語版)
24: 受賞者なし
25: ジャイルズ・ギルバート・スコット
26: ラグナル・エストベリ
27: ハーバート・ベイカー(英語版)
28: ガイ・Dawber(英語版)
29: ヴィクトール・ラルー
30: パーシー・ワージントン(英語版)
1931-1950
31: エドウィン・クーパー(英語版)
32: ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ
33: チャールズ・リード・ピア(英語版)
34: ヘンリー・ヴォーン・ランチェスター
35: ウィレム・デュドック
36: チャールズ・ホールデン(英語版)
37: レイモンド・アンウィン
38: イヴァー・Tengbom(英語版)
39: パーシー・トーマス(英語版)
40: チャールズ・ボイジー(英語版)
41: フランク・ロイド・ライト
42: ウィリアム・カーティス・グリーン(英語版)
43: チャールズ・ハーバート・ライリー(英語版)
44: エドワード・モーフ(英語版)
45: ヴィクトル・ヴェスニン
46: パトリック・アバークロンビー
47: アルバート・リチャードソン(英語版)
48: オーギュスト・ペレ