ヴァニラ・ファッジ
[Wikipedia|▼Menu]

ヴァニラ・ファッジ
Vanilla Fudge
USA.アーリントン公演 (2011年3月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ロングアイランド
ジャンルブルースロックサイケデリック・ロックアシッドロックハードロックヘヴィメタル[1]
活動期間1966年 - 1970年1982年 - 1984年1987年 - 1988年1991年1999年 -
レーベルアトコ・レコードポリドール・レコードライノ・レコード、ワールドサウンド、Escapi Music、Purple Pyramid Records
公式サイト ⇒vanillafudge.com

メンバーマーク・スタイン (Vo/Key)
ヴィンス・マーテル (G)
カーマイン・アピス (Ds)
ピート・ブレミー (B)

旧メンバーティム・ボガート (B)
ほか別記参照

ヴァニラ・ファッジ[2](Vanilla Fudge)は、アメリカ合衆国ロックバンド

1960年代末当時、強力なリズム隊を擁しているグループと評され[3]、後のハードロックの源流の一つとしても知られた。一度解散したが1982年に再始動し、以降断続的に活動している。
概要

バンドのオリジナル・ラインナップはボーカル/オルガンのマーク・スタイン、ボーカル/ベースのティム・ボガート、ボーカル/リードギターのヴィンス・マーテル、ドラムスのカーマイン・アピスで、1966年から1969年まで5枚のアルバムを発表した。バンドのスタイルはいわゆる「アート・ロック[4]に属している。1970年に解散した。その後は様々な構成で再結成を繰り返し、現在はスタイン、マーテル、アピスのオリジナル・メンバーと、ツアーから引退したボガートの代わりのピート・ブレミーの4人で活動している。バンドは「サイケデリックとヘヴィメタルのリンクとなった数少ないアメリカのバンドの一つ」とされる[5]。バンド名の由来は、当時のアメリカで販売されていたアイスクリームの商品名。

1960年代後半、公民権運動や、ベトナム戦争に対する反戦運動に端を発した価値観の転換が契機となって、芸術や音楽の分野でも、「アングラ」や「サイケ」「フラワー」「ヒッピー・ムーブメント」といった若者のムーブメントが登場した。そんな中、約3分前後で終わり、ラジオ向けであったポピュラー音楽やロックンロールのありかたに対して不満を抱いた芸術志向の音楽家たちが、演奏時間や表現手段の拡大を目指して作品を発表し始めた。その流れのひとつとして、ヴァニラ・ファッジを捉えることができる。ラジオの都合を無視した長尺の曲などは、彼らの個性の一つだった。2006年10月には、ロングアイランド・ミュージック・ホールで殿堂入りをしている。
歴史1968年のグループショット

スタインとボガートはリック・マーティン & ザ・ショウメンという地元バンドで活動していた。2人はラスカルズのスウィンギン・サウンドとオルガンの洪水に感銘を受け、マーテルとバンドのドラマーであったジョーイ・ブレナンと共に、自身のバンドを結成することを決めた。当初彼らはバンド名をザ・ピジョンズとしたが、1966年にブレナンに代わってアピスが加入、バンド名もヴァニラ・ファッジと改名した[6]。バンドはその後、ルッケーゼ一家のメンバーでニューヨークでいくつかのクラブを経営していたフィリップ・バジーレによって「発見」されマネージメントを受ける。最初の3枚のアルバム(『キープ・ミー・ハンギング・オン』『ビート・ゴーズ・オン』『ルネッサンス』)はラスカルズを通じて知り合ったシャドウ・モートンがプロデュースした。レッド・ツェッペリンが1969年初めに最初のアメリカ・ツアーを行ったとき、彼らはいくつかのショーでヴァニラ・ファッジをサポートしている。

バンドの最大のヒット曲は「キープ・ミー・ハンギング・オン」(1967年)である。ファースト・アルバムからシングル・カットされた同曲は、元々はモータウンのシュープリームスが歌って全米ナンバーワンとなった曲[7]である。3分くらいだったオリジナルを、スローでサイケ色が強い「7分の曲」にアレンジし、フル・ヴァージョンを収録したアルバムがヒットした。またレコード会社の意向で3分ほどに短縮されたシングルは、ビルボード・チャート6位まで上昇した。この曲のメイン・ボーカルを担当したのはマーク・スタインである。

ヴァニラ・ファッジのメンバーはビートルズのファンであり、「涙の乗車券」と「エリナー・リグビー」を含む彼らのナンバーをカヴァーした。デビュー・アルバムの最後には「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の一節「there's nothing to get hung about」が引用されている。
解散と再結成カクタス (1970年)ベック・ボガート & アピス (1973年)

1970年3月14日にヴァニラ・ファッジはフィル・バジルズ・アクション・ハウスで解散コンサートを行った。その後、ボガートとアピスはカクタスを結成する。1972年、2人はカクタスを脱退しジェフ・ベックと共にベック・ボガート & アピス[8]を結成した。一方、残ったスタインは新たな2人のメンバー、ベースのサル・ドノフリオ、ドラムのジミー・ガルーツィ(両名ともポキプシーで活動していたディーノ & ザ・ケイヴメンのメンバー)を加えてバンドを維持しようとした。しかしそれはかなわず、結局スタインは代わりにガルーツィと共に新しいバンド、ブーメランを結成した。ピジョンズ時代の録音は1970年に『ヴァニラ・ファッジ・モニュメンタル・アルバム (While the World was Eating Vanilla Fudge)』のタイトルでリリースされた。

1970年にバンドは解散したものの、その後に数回再結成している。1982年アトコ・レコードが『ザ・ベスト・オブ・ヴァニラ・ファッジ』をリリース、それに合わせて再結成を行った。1984年にはニュー・アルバム『ミステリー』を発表した。マーテルはこのときの再結成には加わらず、ロン・マンキューゾがギターを担当した。このアルバムではジェフ・ベックも「J.トード」の変名でゲスト参加している。バンドは1987年、1988年に再結成ツアーを行った[9]。このツアーにはポール・ハンソンがギターで参加した。同年5月14日にはアトランティック・レコード40周年コンサートに参加、このときはラニー・コードラがギターで参加している。その後、それぞれのメンバーは他のプロジェクトに参加するため別々に活動した。

1991年にアピスはテッド・ニュージェント[10]のバックバンドの元メンバー、デレク・セント・ホームズ(ギター、ボーカル)、マーティン・ガーシュウィッツ(キーボード、ボーカル)、トム・クルーシェ(ベース、ボーカル)と共にヴァニラ・ファッジを再結成、ツアーを行った。彼らはまた、アルバム『ザ・ベスト・オブ・ヴァニラ・ファッジ・ライヴ』をリリースした。

オリジナル・メンバー3人(アピス、ボガート、マーテル)は1999年にスタインに代えてキーボードのビル・パスカリを加えて再結成、アルバム『リターン』、そして『ゼン&ナウ』をリリースした。このアルバムには、以前の曲の再録と新曲3曲が収められた[11]2002年に病気のボガートに代わってピート・ブレミーとT.M.スティーヴンスがベースで参加、2003年にはライブ・アルバム『The Real Deal - Vanilla Fudge Live』をリリース、これはポール・ハンソンがギターで参加した1987年のツアーを収録したものであった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef