ヴァニラウェア
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

バニラエア」とは異なります。

ヴァニラウェア有限会社
VANILLAWARE Ltd.本社が入居するイワタニ第二ビル
種類特例有限会社
本社所在地 日本
541-0052
大阪府大阪市中央区安土町3-2-14
イワタニ第二ビル12F
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分3.4秒 東経135度30分12.1秒 / 北緯34.684278度 東経135.503361度 / 34.684278; 135.503361座標: 北緯34度41分3.4秒 東経135度30分12.1秒 / 北緯34.684278度 東経135.503361度 / 34.684278; 135.503361
設立2002年2月8日
業種情報・通信業
法人番号2120002061662
事業内容ゲームソフトウェアの開発
代表者代表取締役 神谷 盛治
資本金3,000,000円
外部リンク ⇒http://vanillaware.co.jp/
テンプレートを表示

ヴァニラウェア有限会社(: VANILLAWARE.Ltd)は日本のコンピュータゲーム開発会社。本社は大阪市中央区2002年2月8日設立。
概要

主にオリジナルの中世西欧風ファンタジー世界によるアクションRPG作品を制作している。2Dグラフィックスやドット絵によるアニメーションに拘りを持ったデザイナーが多数在籍しており、絵本がそのまま動いているかのような滑らかで美しい世界を展開している。ソフトクリームのような頭の「ヴァニラ坊や」がヴァニラウェア公式ツイッターのイメージイラストになっている。

ファンタジーアース ザ リング オブ ドミニオン』の開発の為に、ディレクターだった神谷盛治が東京で開発者を集めて法人化した「プラグル」という会社が母体となっている。後に同作から離れる事になった神谷盛治は『オーディンスフィア』の開発が決まった時点で彼の元に残っていた五名と共に大阪へ移転し、社名を「ヴァニラウェア」と変更しての再出発となった[注 1]

代表取締役の神谷盛治は「在籍者全員がアーティスト」と語っており、ファンタジー色の強い作風については「それが目的のような会社」と述べている。社名はお菓子のソフトクリームから取られており「定番となる商品を生み出せたら」という意思が込められている[1]
開発タイトル

発売日タイトルプラットフォーム発売元
2006年2月23日
ファンタジーアース ザ リング オブ ドミニオンMicrosoft Windowsスクウェア・エニックス
2007年4月12日グリムグリモアPlayStation 2日本一ソフトウェア
2007年5月17日オーディンスフィアアトラス
2008年9月25日くまたんちニンテンドーDSディンプル
2009年4月9日朧村正Wiiマーベラスエンターテイメント
2011年9月1日グランナイツヒストリーPlayStation Portable
2013年3月28日朧村正PlayStation Vita
2013年7月25日ドラゴンズクラウンPlayStation 3
PlayStation Vitaアトラス
2016年1月14日オーディンスフィア レイヴスラシルPlayStation 4
PlayStation 3
PlayStation Vita
2018年1月25日ドラゴンズクラウン・プロPlayStation 4
2019年11月28日十三機兵防衛圏PlayStation 4
2022年4月14日Nintendo Switch
2022年7月28日グリムグリモア OnceMoreNintendo Switch
PlayStation 4日本一ソフトウェア
2024年3月8日ユニコーンオーバーロードNintendo Switch
PlayStation 4
PlayStation 5
Xbox Series X/Sアトラス

在籍者
神谷盛治(英:George Kamitani
[2]
ヴァニラウェア有限会社の代表取締役。広島県出身。本名はカタカナ表記の「ジョージ(George)」だが、姓名判断で画数のいい「盛治」の漢字を当て、通称としている[3]。ゲーム開発での役割は、ディレクタープランナーシナリオライターキャラクターデザイナーイラストレーターなど、多岐に渡る。会社業務では事務も行っている[4]
経歴
中学生の頃に出会ったPC-88版『ザ・ブラックオニキス』で初めてファンタジー作品を意識し、魅入られるようになる[5]。高校1年生の時、友人がアルバイトとして務めていたゲーム制作下請け会社に、アルバイトとして従事。初仕事はPC-8801のアダルトゲームをMSXに移植するためのドット打ち。アルバイト生活を通じてグラフィックからプログラミングまで幅広くゲーム制作経験を積む。その当時のキャリアの中でも、自身が全面的にグラフィックを手掛けたファミコンソフト『AD&Dヒルズファー』が印象に残っていると語る[6]。大学卒業後、広島から大阪へ移り住む。関西のゲーム会社に入社したいと考え、カプコン任天堂などに応募。カプコンにプランナーとして入社し、『マッスルボマー』と『ダンジョンズ&ドラゴンズ タワーオブドゥーム』の制作に携わる。上司である岡本吉起に対して、女子高生の格闘ゲーム企画をプレゼンしたこともある。しかし、社内には才能のある社員が多数在籍していたため「このままカプコンにいてもディレクターにはなれない」と感じて退社[6]。学生時代の先輩に誘われて、とあるゲーム会社[注 2]に入社。のちのセガサターン用ソフト『プリンセスクラウン』の基になるゲームを企画し、セガと共同で開発していたが、所属していたゲーム会社が1996年末に倒産してしまう。セガと仲の良かったアトラスを紹介してもらい、アトラス社員としてアトラス大阪開発室(通称:アトラス関西)のチームと合流し『プリンセスクラウン』の完成と発売にこぎつける[6]。この当時から『ドラゴンズクラウン』の企画を考えており『プリンセスクラウン』のチームで開発する予定だったが、以前所属していたゲーム会社の倒産による損失や、セガサターンがハード末期だったため『プリンセスクラウン』の売り上げが伸びずに赤字となったことから、アトラス関西自体が解散に追い込まれてしまい、ゲーム開発会社ラクジンへ移籍。ラクジンでゲーム企画を立てるも実らず、元アトラス関西の小森成雄に誘われてソニー・コンピュータエンタテインメントへ所属することになり上京。だがここでも自身の企画は形にならず、32歳だった2001年頃には、後にヴァニラウェアのプログラマーとなる大西憲太郎と2人で路頭に迷ってしまった。一時は1日の生活費が200円、パンの耳を主食とするまでに生活が困窮していた[6]。そうした状況の中でスクウェア・エニックスの『ファンタジーアース ザ リング オブ ドミニオン 』の仕事を請け負うことになり、事務の都合のためにプラグルという会社を設立。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef