(国旗)
ヴァドーダラー藩王国の版図(1909年)
ガーイクワード家(ガーイクワードけ、マラーティー語:??????? G?y?k?v???, 英語:Gaekwad/Gaikwad)は、西インドのグジャラート地方を支配したマラーター同盟の諸侯(サルダール)。1801年以降はヴァドーダラー(バローダ)藩王国となる。首都はヴァドーダラー。 ガーイクワードのほかに、ガエクワード、ガーイクワール、ガエクワールなどさまざまな名称がある。マラーティー語本来の読みではガーイクヴァード(G?yakav??a)となる。 ガーイクワード家の当主ピラージー・ラーオ・ガーイクワードは、もともとマラーター王国の武将の一人であった[1]。 1720年代、マラーター王国宰相バージー・ラーオの命により、ピラージー・ラーオはチャウタとサルデーシュムキーを徴収するためグジャラート地方への遠征を行った[1]。1726年にはソーンガドに拠点を築いた[1]。 1730年、マラーター王国の軍総司令官トリンバク・ラーオ・ダーバーデーがグジャラートを自己の版図と見なし、ニザーム王国の援助のもと反乱を起こした[2]。そのため、バージー・ラーオは反乱鎮圧に向かい、ピラージー・ラーオもこれに協力した。 1731年4月、ピラージー・ラーオは宰相バージー・ラーオとともにトリンバク・ラーオをダバイーで打ち破った(ダバイーの戦い)[2]。これにより、グジャラートの支配を認められたマラーター諸侯(サルダール)としてのガーイクワード家が誕生した[1]。 ピラージー・ラーオは領土拡大を目指していたが、1732年5月にムガル帝国の武将アバイ・シングとの戦いで死亡してしまった[1]。 後を継いだピラージー・ラーオの息子ダマージー・ラーオ・ガーイクワードは、1734年にヴァドーダラーのムガル帝国軍を追い払い、この地を自身の拠点とした[3]。 その後、ダマージー・ラーオはムガル帝国の軍勢と戦い続けて領土を広げ、1757年にはマラーター王国宰相バーラージー・バージー・ラーオとともに帝国の州都アフマダーバードを陥落させた[4]。
名称
歴史
成立
ヴァドーダラー遷都と第三次パーニーパトの戦いダマージー・ラーオ・ガーイクワード