Wadowice
Aerial view of Main Square
紋章
Wadowice
座標: 北緯49度53分 東経19度30分 / 北緯49.883度 東経19.500度 / 49.883; 19.500
ヴァドヴィツェ(Wadowice, ドイツ語:Wadowitz)は、ポーランド中南部、現在はマウォポルスカ県西端のヴァドヴィツェ郡に位置する町。シロンスク高原上、スカワ川(ヴィスワ川の支流)流域にある。古都クラクフからは50km離れている。ヴァドヴィツェ郡の行政中心地であり、クラクフとチェシン(Cieszyn)を結ぶ国際道路沿いに位置する。
ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の出生地として知られる。 ヴァドヴィツェについての最も古い記述は1327年のものである。オシフィエンチム公ヤン1世スホラスティクがボヘミア王ヨハンに送った封土台帳にWadowiczの綴りで書かれている。 1430年に大火災によって町は一旦焼滅したものの復興し、オシフィエンチム公カジミェシュ1世
歴史
16世紀には、家内工業と商業の中心地であった。この時期に特筆すべき出身者にマルチン・ヴァドヴィタ(Marcin Wadwita)がいる。彼は、クラクフのヤギェウォ大学の神学者・哲学者・助祭であり、またヴァドヴィツェに病院と初等教育学校を設立した。
1819年、オーストリア帝国に併合されたヴァドヴィツェの地域は広がり、3380平方キロメートルに亘り、10の町、2の市場の集落、340の村を抱え、人口は35万人を数えた。初代予備軍隊長ルドヴィク・ド・セルト(Ludwik de Sertes)の頃には、ヴァドヴィツェの町には2,500人の人口があった。
1867年から1975年までヴァドヴィツェのコミュニティーの管理の所在地であった。 上述したマルチン・ヴァドヴィタ(Marcin Wadwita)、のちにローマ教皇ヨハネ・パウロ2世となったカロル・ヴォイティワ、そして、ゴドウィン・ブルモフスキ(Godwin Brumowski)が知られている。 ブルモフスキはオーストリアのパイロットであり、オーストリア=ハンガリー帝国軍の戦闘機のエースパイロットとして第一次世界大戦中に活躍した。 哲学者のエーミール・ラスク ウィキメディア・コモンズには、ヴァドヴィツェ
出身者
外部リンク
表
話
編
歴
マウォポルスカ県の市と郡
市クラクフ | ノヴィ・ソンチ | ヴァドヴィツェ
郡ボフニャ | ブジェスコ | フシャヌフ | ドンブロヴァ | ゴルリツェ | クラクフ | リマノヴァ | ミェフフ | ムィシレニツェ | ノヴィ・ソンチュ | ノヴィ・タルク | オルクシュ | オシフィエンチム | プロショヴィツェ | スハ・ベスキツカ | タルヌフ | タトルィ | ヴァドヴィツェ | ヴィエリチュカ