ヴァイルハイム・イン・オーバーバイエルン
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この項目では、バイエルン州ヴァイルハイム=ショーンガウ郡の郡庁所在地ヴァイルハイムについて説明しています。その他の「ヴァイルハイム」という名を持つ市町村については「ヴァイルハイム」をご覧ください。

紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バイエルン州
行政管区:オーバーバイエルン行政管区
郡:ヴァイルハイム=ショーンガウ郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度50分22秒 東経11度08分43秒 / 北緯47.83944度 東経11.14528度 / 47.83944; 11.14528座標: 北緯47度50分22秒 東経11度08分43秒 / 北緯47.83944度 東経11.14528度 / 47.83944; 11.14528
標高:海抜 563 m
面積:55.5 km2
人口:

22,703人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:409 人/km2
郵便番号:82362
市外局番:0881
ナンバープレート:WM, SOG
自治体コード:

09 1 90 157
行政庁舎の住所:Admiral-Hipper-Strase 20
82362 Weilheim i.OB
ウェブサイト: ⇒www.weilheim.de
首長:マルクス・ロート (Markus Loth)
郡内の位置

地図

ヴァイルハイム・イン・オーバーバイエルン(ドイツ語: Weilheim in Oberbayern、公式表記は Weilheim i.OB, ドイツ語発音: [?va?ilha?im][2])は、ドイツ連邦共和国バイエルン州オーバーバイエルン行政管区ヴァイルハイム=ショーンガウ郡の郡庁所在地。ヴァイルハイムは中級中心都市であり、バイエルン・オーバーラントのプファッフェンヴィンケル地方の最も重要な都市の一つである。
地理
位置

ヴァイルハイムは、北のミュンヘン、南のガルミッシュ=パルテンキルヒェンの間にあたるアルプス前山地方に位置している。市内をイーザル川の支流であるアンマー川が流れている。
市の構成

本市は、公式には 16の地区 (Ort) からなる[3]。このうち小集落や孤立農場などを除く集落を以下に列記する。

ドイテンハウゼン

マルンバッハ

ウンターハウゼン

ヴァイルハイム・イン・オーバーバイエルン

歴史

「Wilhain」村に関する文献上最初の記録は、ローマ王(ドイツ王)で後に神聖ローマ皇帝となるハインリヒ2世・フォン・バンベルク1010年4月16日の文書である。この年、彼はヴァイルハイムの農場をポリング修道院に寄贈したのである。しかし、この街の起源はこれよりもずっと古く、ヴァイルハイムという名前もローマ人の荘園付き別荘 (Villa) の近くにある家 (Heim) を意味する。ブレンナーからパルテンキルヒェンを経由してアウクスブルクに至るローマ街道が、現在の市域を通っていた。1080年頃からヴァイルハイムを名乗る貴族家が現れるが、1312年に断絶している[4]1236年から市壁の前触れとなる木柵が造られ始めた[4]。中世には、ヴァイルハイムは何度も大火に襲われた。1611年、アンマー川沿いに流しのための集積地が設けられた[5]。バイエルン選帝侯領の世俗化に伴い、1802年にヴァイルハイムのフランシスコ会修道院が廃止された[6]
宗教

11,000人強の住民の半数以上がカトリック信者である。約5,000人がプロテスタント、残りはその他の宗教または無宗教である。マリア広場。画面中央の塔がマリア被昇天教会の塔である。

この街はアウクスブルク司教区のヴァルトハイム=オーバーラント司教区ヴァイルハイム首席司祭区に属している。市教区教会はマリア被昇天教会、市南部のそれは聖ペルテン教会である。この他に聖霊教会やその他の小さな教会がある。ドイテンハウゼン区には洗礼者聖ヨハネ教区教会、マルンバッハ区には聖ミヒャエル教区教会、ウンターハウゼン区には苦しみの聖母教区教会が、それぞれある。以上5つの教会はいずれもヴァイルハイム教区共同体として相互に連携しあっている。

プロテスタント・ルター派教会は、使徒教会教区およびヴァイルハイム監督管区が運営している。この教区はシュテルンベルク湖からツークシュピッツェまでを管轄している。使徒教会は新しいオルガンを有していることで知られ、また2008年からはリーメンシュナイダー作の祭壇の一部であるシュトゥッパハの聖母を所有してもいる。
人口推移

1910年 5,249人

1950年 11,158人

1960年 12,308人

1970年 14,444人

1980年 17,101人

1990年 18,294人

2000年 20,863人

行政

市議会は、30議席からなる。第1市長はマルクス・ロート (B.F.W.)、第2市長はインゴ・レーメシュ (SPD) である。
紋章

ヴァイルハイム市の紋章には、3つの塔を有し、扉を開けた市門が描かれている。この紋章は1320年頃に皇帝ルートヴィヒ4世から市に下賜されたものである。これ以前の紋章も分かっており、それには三日月と3つの星が描かれている。この古い紋章は市庁舎の北側に見ることができる。
姉妹都市

ナルボンヌフランスオード県

この姉妹都市関係は1965年のできごとを端緒とする。ナルボンヌのボーイスカウトがヴァイルハイム近郊でキャンプを行った際、洪水が起こった。この時ヴァイルハイム市民がボーイスカウトを手助けし、親しい交際が始まった。これから1971年にナルボンヌで姉妹都市協定書に署名がなされ、1974年にヴァイルハイムで確認された。1988年から毎年7月の第1週末にヴァイルハイムのマリア広場で「フランス週間」が、ヴァイルハイム営業組合の提案により運営されている。また、姉妹都市のナルボンヌでは2年ごとにバイエルン週間が開催されている。こうした祭のたびに相互の姉妹都市の高位者が参加している。

さらにヴァイルハイム市はずっと以前からドイツ海軍のヴァイルハイムと名付けられた掃海艇(フランケンタール級 332)と姉妹関係にある。1958年2月4日に命名され、やがて退役した同名の先代艦艇はヴィルヘルムスハーフェンのドイツ海軍博物館で見ることができる。この姉妹関係は当時の国防大臣フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスの提案に基づいて成立し、ヴァイルハイム市はこれを支持した。この船の錨は古い市壁の近くに置かれており、見ることができる。
経済と社会資本K&L Ruppert 本社

ヴァイルハイムには中規模企業が拠点を置いているため、失業率は低い。最も重要な交通標識メーカーの Bremicker Verkehrstechnik はその一つである。さらに WTW Wissenschaftlich Technische Werkstatten GmbH もこの街に本社を置いている。この会社は1945年にカール・E.スレフォクト博士によって創設された、現在世界中で活動している水質分析器メーカーである。Zarges は1933年にヨーロッパ初の軽金属建築のメーカーとしてシュトゥットガルトで設立され、戦前にヴァイルハイムに移転した。K&L Ruppertは南ドイツで重要な繊維販売企業である。Firma Weila-Erd GmbH は1989年に小さな肥土販売店として設立された。現在この会社はドイツ全土で最大の肥土と肥料の販売業者の一つである。


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