紋章地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:シュトゥットガルト行政管区
郡:レムス=ムル郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度49分49秒 東経09度19分01秒 / 北緯48.83028度 東経9.31694度 / 48.83028; 9.31694
55,526人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:1,299 人/km2
郵便番号:71332, 71334, 71336
市外局番:07151, 07146
ナンバープレート:WN, BK
自治体コード:
08 1 19 079
行政庁舎の住所:Kurze Strase 33
71332 Waiblingen
ウェブサイト:www.waiblingen.de
首長:アンドレアス・ヘスキー (Andreas Hesky)
郡内の位置
地図
ヴァイブリンゲン (ドイツ語: Waiblingen, ドイツ語発音: [?va?ibl???n][2]) はドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州レムス=ムル郡に属す市である。州都シュトゥットガルトの北東約 10 km に位置している。本市はレムス=ムル郡の郡庁所在地で、同郡最大の街である。本市は、シュトゥットガルト地方(ドイツ語版、英語版)(1992年まではネッカー中流域)およびシュトゥットガルト大都市圏(ドイツ語版、英語版)に属す。西に隣接するフェルバッハとともに周辺市町村の中級中心をなす。
ヴァイブリンゲンは1962年2月1日から大規模郡都市となっている。
地理
位置ヴァイブリンゲン、ミヒャエルス教会付近を流れるレムス川
ヴァイブリンゲンはレムス川の両岸に位置している。この川は、市の南西に位置するバインシュタイン市区から市域内に流れ込み、中核市区を貫通している。その後、ムシェルカルク(ドイツ語版、英語版)を深く刻み込み蛇行を繰り返しながら南東から北西に向かって流れ、レムスエック・アム・ネッカーでネッカー川に合流する直前に、ヘクナハ市区とホーエンアッカー市区との間から本市を離れる。 以下の市町村がヴァイブリンゲン市と境を接している。北東から時計回りに列記する: ロイテンバッハ、シュヴァイクハイム、コルプ、ヴァインシュタット、ケルネン・イム・レムスタール、フェルバッハ(以上、いずれもレムス=ムル郡)、レムスエック・アム・ネッカー、マールバッハ・アム・ネッカーに属す飛び地(ともにルートヴィヒスブルク郡)。ヴァイブリンゲンの無人の飛び地が、ベルグレンとレムスハルデンとの間にあるヒンテーレ・シュタットヴァルトである。 ヴァイブリンゲンの市域は、中核市区とバインシュタイン、ビッテンフェルト、ヘクナハ、ホーエンアッカー、ノイシュタットの各市区からなる。いくつかの市区には、固有の名称を持つ集落や住宅地が属している。 土地用途別面積面積 (km2)占有率 出典: Statistisches Landesamt Baden-Wurttemberg[3] ヴァイブリンゲンは隣接するフェルバッハとともに、シュトゥットガルトを中心とするシュトゥットガルト地方内の中級中心となっている。ヴァイブリンゲン/フェルバッハ中級中心地域には、レムス=ムル郡南西部の市町村、すなわちベルグレン、ケルネン・イム・レムスタール、コルプ、ロイテンバッハ、シュヴァイクハイム、ヴァインシュタット、ヴィネンデンが含まれる。 この地域の出土品には旧石器時代や中石器時代のものが見られる。ヴァイブリンゲン自身の近くでは、線帯文土器文化(紀元前5000年頃)を初めとして、様々な先史時代の定住跡が見つかっている。ローマ時代には、バインシュタインの近くに職人の入植地があった。ここでは価値の高い食器類(テラ・ジギラータ 現在のヴァイブリンゲン中核市部周辺はアレマン時代に政治、経済、教会の中心地へと発展した。本市周辺にはメロヴィング時代の埋葬地が多くあった。746年にカンシュタット
隣接する市町村
市の構成
土地利用
住宅地4.5810.7 %
産業用地2.285.3 %
レジャー用地0.872.0 %
交通用地5.0711.9 %
農業用地20.9349.0 %
森林6.4315.0 %
水域0.390.9 %
その他の用地2.205.1 %
合計42.75
地域計画
歴史
18世紀まで
中世のヴュルテンベルク領におけるヴァイブリンゲンの重要性を示す直接的な証拠が、1287年にヴァイブリンゲンの力を削ぐための対抗措置として、現在のノイシュタット・アン・デア・レムス ("Nova Civitas") が建設されたことである。本市はヴュルテンベルクに対する帝国戦争で、1291年から1293年に初めて破壊され、帝国都市エスリンゲン・アム・ネッカーの支配下に置かれたが、1315年に再びヴュルテンベルクの所領に戻された。ヴァイブリンゲンは地方行政と王宮の街となり、遅くとも14世紀以降はアムト(地方行政単位)および郡の中心地となった。
14世紀末までにヴァイブリンゲンの旧市街は盛んに拡大していった。これにより市壁の外側にミヒャエルス教会が建設され、そのさらに外側の環状市壁とこれに伴いツヴィンガー(ドイツ語版、英語版)[訳注 1]が設けられた。さらに市門が高くされ、紋章石が飾られた。たとえば1491年に造られたバインシュタイナー楼門のヴュルテンベルク公エーバーハルト1世の紋章などがその例である[4]。アンドレアス・キーザーの1685年の森林登録簿に描かれたヴァイブリンゲン
三十年戦争では、1634年9月5日から6日のネルトリンゲンの戦い後、ヴュルテンベルク兵がもはや護っていないヴァイブリンゲンは、皇帝軍およびスペイン軍の犠牲となった。9月18日の夜、街は炎の中で射撃を受け、突入され、略奪された。8日後に鎮火したときには、市は基礎壁に至るまで破壊され、4年間荒廃したままで、1638年/1640年になってやっと復興された。市壁の外にあった数軒の家屋だけが破壊を免れた。復興は、著しい人口低下のためにゆっくりとしか進行しなかった。1634年の破壊は、今日に至るまでこの街の歴史最大の悲劇である。この他に1771年と1784年にも火災が起こった。 ヴュルテンベルク王国成立後もヴァイブリンゲンは何世紀も続く農耕が主体の街であった。
19世紀から20世紀