ヴァイキング
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この項目では、かつてスカンディナヴィアバルト海沿岸に存在した武装船団について説明しています。その他の用法については「ヴァイキング (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「バイキング」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ヴァイキング (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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出典検索?: "ヴァイキング" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年3月)
ヴァイキングの著名な戦闘 : スヴォルドの海戦を描いた絵画

ヴァイキング(: Viking、: viking、: Wikinger)とは、ヴァイキング時代(Viking Age、800年 - 1050年)と呼ばれる約250年間に西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィアバルト海沿岸地域の武装集団を指す言葉。

通俗的には、ヴァイキングは角のある兜を被った海賊略奪を働く戦士であるとされるが、このイメージは後世の想像の影響が強く、実際には略奪を専業としていたのではなく交易民でもあり、故地においては農民であり漁民であった。

各地に進出し、北ヨーロッパの歴史に大きな影響を残したが、次第に各地に土着してゆくとともに海上の民としての性格を失い、13世紀までには、殆どのヴァイキングは消滅した。
名称

ヴァイキングという呼称の語源は古ノルド語: vikingr(氷語: vikingur、フィヨルドから来たもの)。古ノルド語: vik(氷語: vik)は入り江フィヨルドを意味する。スカンジナビア半島一帯に点在するフィヨルドのことをヴィークと呼んだため、その「ヴィークの人々」を指して「ヴァイキング」と呼ぶようになったと考えられている。後の研究の進展により、ヴァイキングは「その時代にスカンディナヴィア半島、バルト海沿岸に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。そういった観点からはノルマン人とも呼ばれる。

また、『サーガ』や『エッダ』などに「ヴァイキングに行く」という表現がみられるところから「探検」「航海」「略奪」などを意味するのではないかという解釈がある[1]
背景

彼らは北方系ゲルマン人で、9世紀に入って侵略などを活発化させた。どうして彼等が域外へと進出したのかについては下記のような学説がある。
現在の説

ヴァイキングによる拡大と侵攻は中世温暖期10世紀 - 14世紀)付近にはじまり、小氷河期14世紀半ば - 19世紀半ば)には収束しているが、その直接的なきっかけは不明であり、いくつかの説が存在する。
キリスト教と宗教的対立

ヴァイキング時代の始まりとされるリンディスファーンの蹂躙は、カール大帝によるザクセン戦争、すなわちキリスト教徒による異教徒に対する戦争と時期を同じくする。歴史家のRudolf SimekとBruno Dumezilはヴァイキングによる攻撃は同社会におけるキリスト教の広まりに対する反撃ではないかと位置付けている[要出典]。Rudolf Simek教授は『初期のヴァイキングの活動がカール大帝の統治時代と時を同じくするのは偶然ではない』と分析する。カール大帝はキリスト教を掲げ、侵攻と拡大を繰り返しており、スカンディナビアにおけるその脅威は想像できる。また、キリスト教の浸透はスカンディナヴィアにおいて問題化していてノルウェーではそれが原因で1世紀に渡り深刻な対立が生じていた。通商・貿易面では、スカンディナヴィア人はキリスト教徒による不平等な条件の押しつけで苦しんでいたことが判明している。名誉を重んじ、名誉が汚された場合は近隣を襲撃することを厭わない文化において、上記のような原因で外国を襲撃することは考えられる[要出典]。
技術的優位性からの富を求めた侵略

ヴァイキングは通商・貿易を生業としていた民族である。そのため、ヴァイキングはヨーロッパの中世初期頃から東アジア・中東とも交流を行い、航海術だけではなく、地理的な知識・工業的な技術・軍事的な技術も周辺のヨーロッパ諸国を凌駕するようになった。その結果、富を求め近隣諸国を侵略していったとされるものである。
その他の説

人口の過剰を原因とする説がある。寒冷な気候のため土地の生産性はきわめて低く、食料不足が生じたとされる。山がちのノルウェーでは狭小な
フィヨルドに平地は少ないため海上に乗り出すしかなく、デンマークでは平坦地はあったが土地自体が狭かった。スウェーデンは広い平坦地が広がっていたが集村を形成できないほど土地は貧しく、北はツンドラ地帯で論外であった。このため豊かな北欧域外への略奪、交易、移住が活発になったという仮説である。しかし、生産性が低く土地が貧しいのなら出生率が上がるとは考えにくく、今では否定的に捉えられている。

人口過剰説として、中世の温暖期も原因とされることがある。温暖化により北欧の土地の生産性が上がったが、出生率がそれを上回って上昇したため、域外へ進出することを招いたという説である。

大陸ヨーロッパではゲルマン民族移動など民族大移動の真っ只中であり、弱体化したヨーロッパに南下して付け入ったという説もある。

能力を理由とする説もある。ヴァイキングの航海技術が卓抜だったため(後述)、他の民族は対抗できなかったというものである。

風俗史実に近い形で描かれたヴァイキング。ただしここに描かれている人物はノヴゴロド公リューリクであり、半伝説的な人物である事には留意されたい。

ヴァイキング戦士の格好は、同時代の西欧の騎士と同様の、頭部を覆う兜とチェーンメイルが一般的であった。丸盾と大型の戦斧が、ヴァイキングの装備の特徴となる。

ノルウェーの10世紀の遺跡から出土した兜は、目の周りに眼鏡状の覆いがついていたが、角状の装飾品は見当たらない。むしろ同時代の西欧の騎士の兜が、動物や怪物を模した付加的な意匠を施す例があったのに対し、ヴァイキングの兜は付加的な意匠は乏しいと言える。

族長クラスは膝下までのチェーンメイルを身につけたが、一般のヴァイキングは膝上20cm程度のものを身につけていた。ヴァイキングとノルマン人の定義には曖昧なものがあり厳密な区分ができないが、ヴァイキングのチェーンメイルは黒鉄色、ノルマン人のチェーンメイルは銀白色、といった区分をする場合があり、アイルランド語ではヴァイキング・ノルマン人を「ロッホランナッホ (Lochlannach)」、つまり「白と黒」と呼んでいた。

ノルマン人と呼ばれる時代には、水滴状で鼻を防御する突起のついた兜が普及した。一体形成で意匠はさらに単純なものとなり、ノルマン・ヘルムと呼ばれた。これはノルマン人以外の西欧の騎士の間にも普及し、初期十字軍の騎士の一般的な装備ともなっている。
ステレオタイプ
ステレオタイプなヴァイキング

一般に、角のついた兜と毛皮のベスト、といった服装が、ヴァイキングの服装のステレオタイプとして知られている[2]。しかしこれは史実ではなく、当時のヴァイキングの遺跡からはこのような兜は出土していない[3]。角のついた兜は、古代ローマ時代にローマと敵対したケルト人の風俗が、後世になってヴァイキングの風俗として訛伝されたものである。


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