ヴァイオリンソナタ第2番_(フォーレ)
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ガブリエル・フォーレ(1905年の写真)

ヴァイオリンソナタ第2番(: Sonate pour violin et piano no 2) ホ短調 作品108は、近代フランス作曲家ガブリエル・フォーレ(1845年 - 1924年)が1917年に完成したヴァイオリンピアノのためのソナタ。全3楽章からなる。なお、フォーレのヴァイオリンソナタは2曲あり、1875年の第1番から42年後に第2番が書かれた。フォーレ71歳のときである[1]
作曲の経緯

ヴァイオリンソナタ第2番は、1916年8月から1917年5月にかけて作曲された[2]。このころフォーレは、友人のマイヨ夫妻がエヴィアン=レ=バンに借りていたサフレット館で夏の休暇を過ごしており、第2番のヴァイオリンソナタはこの地で着手された。妻マリーに宛てたフォーレの手紙によると、作曲は順調にはかどり、9月末の時点で第1楽章が完成、次いで取りかかった第3楽章も半分出来上がり、第2楽章はスケッチ段階という状況だった。しかし、パリ音楽院の院長職にあったフォーレは、その後入学試験をはじめとした職務のために作曲を中断する。全曲の仕上げは1916年末であり、翌1917年1月7日にデュラン社と出版契約を交わしている[3]。その後一部手直しを経て、1917年5月に脱稿した[4][2]

なお、フォーレは30歳のときにヴァイオリンソナタ第1番を作曲したものの、その後長期間にわたってこのジャンルから離れていた。フランスのフォーレ研究家ジャン=ミシェル・ネクトゥーは、このようなブランクの原因として、オペラペネロープ』(en:Penelope)の作曲に長期間を費やしたことや、ピアノ五重奏曲第1番の推敲に苦労した経験が強く残っていたことを挙げている[5]

一方、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)中のフランスでは、ヴァイオリンソナタが約200年前のバロック時代にジャン=マリー・ルクレールフランソワ・フランクールらが発展させた「フランス的ジャンル」あるいはフランスの美的伝統への回帰を意味するものとして受け入れられるようになっていた。このような位置づけを明確にしたのがクロード・ドビュッシーの最後の作品となったヴァイオリンソナタであり、フォーレのヴァイオリンソナタ第2番と同じ1917年に完成されている。ドビュッシーが打ち出した新古典主義音楽の流れは、シャルル・ケクランフローラン・シュミットによって受け継がれ、アルベール・ルーセルモーリス・ラヴェルらにつながってゆく[5]

とはいえ、このような時期にヴァイオリンソナタを書くことについて、フォーレがどれほど意識していたかは明確でない。1916年のフォーレの手紙では作曲の動機については一切触れておらず、わずかに、ピアノ五重奏曲第1番の緩徐楽章に取りかかった1903年ごろから、ピアノとヴァイオリンのための作品が念頭にあったということがいえるくらいである[5]
初演・出版.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}初演時のヴァイオリニスト、リュシアン・カペー(1873年 - 1928年)初演時のピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877年 - 1962年)

1917年11月10日、国民音楽協会の演奏会でリュシアン・カペーのヴァイオリン、アルフレッド・コルトーのピアノによって初演され[注 1]、同年デュラン社から出版[6]曲を献呈されたベルギー王妃エリザベート(1915年)

曲は、ベルギー王妃エリザベート・ド・バヴィエールに献呈された[7]。エリザベート妃はフォーレと親交のあったヴァイオリニストウジェーヌ・イザイ(1858年 - 1918年)と共通の知人であるだけでなく[8]、自身でヴァイオリンを弾き、内輪の演奏会ではフォーレのピアノ五重奏曲第1番の第2ヴァイオリンを受け持ったこともあるなど、熱心なフォーレのファンだった[7]。フォーレは、後に作曲したピアノ三重奏曲もエリザベート妃に献呈している[8]

なお、イザイは、フォーレのヴァイオリンソナタ第1番をたびたび演奏していたが、第2番は一度も演奏していない。これについて、フォーレの次男フィリップは次のように述べている。「この作品は1917年に世に出されたものの、イザイがそれを彼独自のスタイルで演奏するまでに至らなかったのは、きわめて残念なことである。彼はその時すでに高齢に達しており、何よりもまずこの作品を理解することができなかったのだ。とはいえ、この作品は彼のために作られたものなのである。もっとも、彼がそれに気づいたときにはもう遅すぎたのだが……。」 ? フィリップ・フォーレ=フルミエ[8]
特徴
フォーレ晩年の室内楽様式

フォーレの創作期間はしばしば作曲年代によって第一期(1860年 - 1885年)、第二期(1885年 - 1906年)、第三期(1906年 - 1924年)の三期に分けられており[9]、ヴァイオリンソナタ第2番は第三期に属する。


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