ワールドトレードセンター
ツインタワー[注 1]
英: World Trade Center
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施設情報
所在地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度42分42秒 西経74度0分49秒 / 北緯40.71167度 西経74.01361度 / 40.71167; -74.01361
ワールドトレードセンター、世界貿易センター(英語: World Trade Center, WTC)は、かつてアメリカ合衆国のニューヨーク市マンハッタン区のローワー・マンハッタンに位置していた高層ビルの集合体である。
ツインタワーと呼ばれる2棟の110階建てオフィスビルを中核に、計7棟のビルで構成されていた。1973年4月4日にオープンし、2001年9月11日に破壊されるまで存在していた。ツインタワー(1 WTCおよび2 WTC)は完成時に世界一の高さを誇り、2棟の巨大な直方体が並び立つ姿はニューヨーク市やマンハッタンのシンボルとなっていた。建設および経営にはニューヨーク・ニュージャージー港湾公社があたっていた。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件(9.11テロ事件)の標的の一つとなり、最終的にツインタワーが崩壊し、それに巻き込まれる形で残る5つのビルも半壊または全壊したことで壊滅状態に陥った。現在は跡地に1 ワールドトレードセンターをはじめとした6つの超高層ビルと9.11テロ事件の追悼施設などからなる新WTCが開業している。
起源南側から見たWTCのツインタワー(2001年7月撮影)
ワールドトレードセンターの敷地には、1921年から1966年まで「ラジオ・ロウ(英語版)」と呼ばれる電気部品街が存在していた。1921年にハリー・シュネック (Harry Schneck) がコートランド・ストリートに「シティ・ラジオ」という店をオープンしたのを皮切りに、最終的にこの地には数ブロックにわたって広がる電気部品店の街が形成された。とあるビジネス記者によると、ラジオ・ロウは電子部品流通事業の起源であった[4]。
1939年、ニューヨーク万国博覧会の中で、「World Peace through Trade(貿易を通じての世界平和)」をテーマに「ワールドトレードセンター」と名付けられたパビリオンが設置された[5][6]。第二次世界大戦終結後の1946年、ローワー・マンハッタンに世界的な貿易センターを建設する提案がニューヨーク州議会によって承認され、当時のニューヨーク州知事トマス・E・デューイが建設計画の立案に乗り出したが[7]、1949年になるとこのプロジェクトは頓挫した[8]。
1959年、ミッドタウンの繁栄の影で経済的に停滞していたロウアー・マンハッタン地区の再興を望んでいたデイヴィッド・ロックフェラーは、「ダウンタウン・ロウアー・マンハッタン協会 (Downtown Lower Manhattan Association)」を設立し、いったんは頓挫した世界的な貿易センターの建設プロジェクトを復活させた[5][9]。この計画を実現するため、ロックフェラーはニューヨーク港湾公社[注 3]に協力を要請した[5][9]。
ニューヨーク港湾公社のエグゼクティブ・ディレクターであるオースティン・トービン(英語版)はロックフェラーの計画を支持し、貿易センターの建設プロジェクトを強力に推進した[6]。トービンは、このプロジェクトで建設されるものは単なる「世界的な貿易センター (world trade center)」ではなく、「ザ・ワールドトレードセンター (the World Trade Center)」という唯一無二の存在であるべきだと述べた[10]。