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出典検索?: "ワーナーミュージック・ジャパン"
株式会社ワーナーミュージック・ジャパン
Warner Music Japan Inc.
本社が入居するアークヒルズサウスタワー
種類株式会社
略称WMJ
本社所在地 日本
〒106-0032
東京都港区六本木1丁目4番5号[1][2]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分56.6秒 東経139度44分21.8秒 / 北緯35.665722度 東経139.739389度 / 35.665722; 139.739389座標: 北緯35度39分56.6秒 東経139度44分21.8秒 / 北緯35.665722度 東経139.739389度 / 35.665722; 139.739389
設立1970年11月11日
業種情報・通信業
法人番号7010401002133
事業内容音楽・映像ソフト制作及び販売、音楽著作権管理、原盤制作、芸能プロダクションマネージメント事業ほか
代表者小林和之(代表取締役社長兼CEO)
主要株主ワーナーミュージック・グループ
外部リンクwmg.jp
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ワーナーミュージック・ジャパン
Warner Music Japan
親会社ワーナーミュージック・グループ
( アメリカ合衆国)
設立1970年
(旧ワーナーブラザーズ・パイオニア)
設立者ワーナー・ブラザース
( アメリカ合衆国)
パイオニア
( 日本)
渡辺プロダクション
( 日本)
販売元ソニー・ミュージックソリューションズ[3]
ジャンルJ-POP、ロック、ポピュラー等
国 日本
公式サイトhttps://wmg.jp/
株式会社ワーナーミュージック・ジャパン(英: Warner Music Japan Inc.)は、米国・ワーナーミュージック・グループ傘下の日本のレコード会社、芸能事務所[注釈 1]。
2024年5月現在、日本に拠点を置く大手外資系レコード会社の中ではユニバーサル ミュージック合同会社に次いで長い歴史を有する日本の大手レコード会社でもある。 2024年1月現在、五十音順。
沿革
1970年 - ワーナー・ブラザース(50%出資)とオーディオ機器メーカー(当時)・パイオニア(25%)、芸能プロダクションの渡辺プロダクション[注釈 2](25%)の3社により、「ワーナーブラザーズ・パイオニア株式会社」を設立。これは、当時の日本でアメリカ資本のみのレコード会社設立が出来なかったためである[注釈 3]。
発足当初のレーベルは、以下の4つだった[注釈 4]。
ワーナー・ブラザーズ(現:ワーナー・レコード。東芝音楽工業〈現:ユニバーサル ミュージック合同会社〉より移行)
アトランティック(日本グラモフォン〈現:ユニバーサル ミュージック合同会社〉より移行)
リプリーズ(日本ビクター・ワールド・グループ〈現:ビクターエンタテインメント〉より移行)
パイオニア(ゼロベースの邦楽部門。主にテレビアニメ・特撮ドラマの各種主題歌やサウンドトラックの発売が中心[注釈 5])
現役時代のレッド・ツェッペリンなどを擁したことから洋楽志向の強いメーカーというイメージもあるが、スタート時点から邦楽にも力を注いでおり、最初のビッグ・ヒットが「わたしの城下町」(小柳ルミ子)だった。
興味深いのは邦楽の取扱いで、全てが「パイオニア・レーベル」というわけではなく、アーティストによって振り分けが行われていた(小柳ルミ子はリプリーズ、ペドロ&カプリシャスはアトランティック)[注釈 6]。
1972年 - 社名を「ワーナー・パイオニア株式会社」に変更。
1978年 - 渡辺プロダクションがワーナーと並行する形で出資していた「アポロン音楽工業」(現:バンダイナムコミュージックライブ)へ音源の発売権を一本化することを発表し、資本撤退。それに伴い、渡辺音楽出版が原盤供給していた音源が引き揚げられ、一部作品はSMSレコードから再発売される。
1990年 - パイオニアが自社系列で音楽・映像ソフト制作に乗り出す方針を固め、1981年設立の「レーザーディスク株式会社」を1989年、「パイオニアLDC」(現:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)に商号変更し、この年、正式に資本撤退[注釈 7]。ワーナー・ブラザース・グループの100%子会社となる。
新会社WEAミュージック株式会社が設立される。第一弾アーティストは槇原敬之で、代表は折田育造。
アルファ・ムーンが、マザーアンドチルドレンと合併、ジャグラーと提携して、エム・エム・ジーに改称。GARLANDレーベルを新たに発足。ワーナーミュージック・グループ傘下入りする。
1991年 - 社名を「株式会社ワーナーミュージック・ジャパン」(初代法人)に変更。
1993年 - スターダスト☆レビューや森高千里が所属する芸能事務所アップフロントグループと共同出資で、ワン・アップ・ミュージック(現:アップフロントワークス)を設立[注釈 8]。
エム・エム・ジーが、イーストウエスト・ジャパンに改称。
1994年 - 1990年設立のWEAミュージック株式会社を吸収合併し、レーベルはwea japanに一本化。法人としてのワーナーはグループの統括会社として機能。
マイカルハミングバードの音楽・映像事業を譲受する。
1996年 - 邦楽の演歌部門から完全撤退。小林幸子ら所属演歌歌手が他社への移籍を余儀なくされる。
1997年 - ソニー・ミュージックエンタテインメントから稲垣博司や橋爪健康などのエグゼクティブが大量にワーナーへ転籍。
華原朋美・今井美樹・坂本龍一・PENICILLINらを高額の移籍金で他社から移籍させる。
1998年 - wea japanがワーナーに吸収され、発売元はワーナーミュージック・ジャパンに変更される[注釈 9]。
2002年 - 関連会社の株式会社イーストウエスト・ジャパン、株式会社ワーナーミュージック・ジャパン、タイム ワーナー エンターテイメント ジャパン株式会社の3社が合併し、「ワーナー エンターテイメント ジャパン」となる。
2004年 - ワーナー・ブラザースの親会社である米国タイム・ワーナー(現:ワーナー・ブラザース・ディスカバリー)が音楽部門を分離・売却。それに伴い、ワーナー エンターテイメント ジャパンも音楽ソフト部門を分離、社名が再び「ワーナーミュージック・ジャパン」(2代目法人)となる。
2011年
5月6日 - ワーナーミュージック・グループは、2004年から2007年まで同社役員会メンバーで取締役だったレン・ブラバトニクが代表を務める米投資ファンド アクセス・インダストリーズ社による約33億米ドルの買収を受け入れることで合意した。
2013年
5月 - 社名の『WARNER MUSIC JAPAN』の書体が変更される。ロゴマークに変更はない。
9月 - 同年の2月7日、 ワーナーミュージック・グループが、ユニバーサル ミュージックから、EMIレコードの一部門であるパーロフォン・レーベル・グループを買収したことに伴い[4]、日本でのEMIクラシックス(旧EMIミュージック・ジャパン原盤を除く)や欧州のEMI(ビートルズを除く)の販売権が、日本のユニバーサル ミュージックから移行される。
2014年
4月1日付で代表取締役会長兼CEOに小林和之が就任。
2015年
3月 - 同社の社内カンパニー兼芸能プロダクション事業の株式会社ワーナーミュージックエージェンシーを発足。
7月 - 代表取締役COOに堀切英明が就任。
2017年
10月1日 - 同年秋より、CD/DVD等のパッケージ商品の小売販売・流通業務をソニー・ミュージックマーケティング(現:ソニー・ミュージックソリューションズ)へ委託することを決定[3]。
2020年
4月1日 - ロゴマーク(CI)の意匠を変更。
2021年
8月5日 - 同社の社内カンパニーとしてこれまでのワーナーミュージックエージェンシーの後継となる女優・モデルマネージメントを中心とした芸能プロダクション事業のワーナーミュージック・アーティスツを発足。
アーティスト
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