ワージング(Worthing)は、イングランド南部ウェスト・サセックスにある海に面したタウンかつバラである。ブライトンの西16km、チチェスターの東29kmに位置し、推定人口は104,600人、面積は32.37km2である。 ワージングの中心部から7マイル(11km)以内にはイギリス国内14あるうち4つの火打石採石場が集まっており、少なくとも6,000年以上前から人々が生活していた[1][2]。過去の発掘調査では青銅器時代の遺跡が出土しており、町の西端のハイダウン・ヒル
歴史
鉄器時代には、イギリス最大の丘陵砦のひとつが築かれた。その後ローマ・ブリトン時代には、レグネンセスの支配地に含まれている。域内のいくつかの道路はこの時代のもので、「センチュリー」と呼ばれる碁盤目状の配置になっている。5世紀から6世紀にかけてはサセックス王国に組み込まれ、この時代にワージングという名称が定着した。
その後何世紀にもわたって何の変哲もない村だったが、1750年代から富裕層の観光地として発展を始めた。1798年にはイギリス王女のアミーリア・オブ・ザ・ユナイテッド・キングダムもこの地を訪れ、1803年にはタウンに昇格した。町の発展に伴いクレッセント公園(英語版)などの公共施設も開発された。一方で19世紀には密輸業者の拠点ともなり、1880年代には骸骨軍(英語版)による暴動も発生した。
詩人オスカー・ワイルドは1893年とその翌年にこの町で休暇を過ごし、2度目の訪問で『真面目が肝心』を執筆した。そのほかにもノーベル文学賞受賞者のハロルド・ピンターをはじめ、多くの文学者がこの町を訪れている。
1934年10月9日にはサウス・ストリートの戦い(英語版)と呼ばれる暴動が発生した[3] 。これはオズワルド・モズレー率いるファシスト連合とその反対者との間で起きた暴動である。第二次世界大戦が発生すると連合軍が駐留し、この地からノルマンディー上陸作戦へと向かっていった。 国家統計局による2019年時点での推計人口は110,570人[4]。人口密度は3,383人/km2で、これはサセックスの自治体において2番目に高い[4]。 1801年以降の人口動態(ワージング)年人口年人口 出典: A Vision of Britain Through Time[5], Office for National Statistics 鉄道
人口動態
18012,1512151 192137,90637906
18113,8243824 193145,90545905
18214,9224922 193955,58455584
18315,6545654 195167,30567305
18416,8566856 196177,15577155
18517,6157615 197188,46788467
18619,7449744 198190,68690686
187111,87311873 199198,06698066
188114,00214002 200197,54097540
189119,17719177 2011104,640104640
190124,47924479 2019110,570110570
191131,30131301 2031122,200122200
交通
ウェスト・コーストウェイ線