ワンパス・ベビー・スターズ
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ワンパス・ベビー・スターズ(WAMPAS Baby Stars)は、アメリカ合衆国の Western Association of Motion Picture Advertisers(WAMPAS)がスポンサーを務めた、プロモーション・キャンペーンである。このキャンペーンは毎年、映画スターの座を約束された若い女優13名(1932年のみ25名)を表彰するものであり、1922年から34年にかけて実施された。
概要

1922年に始まったワンパス・ベイビースターズは、大手映画スタジオ主導の元で、毎年広報担当者が映画スターになれそうな若手女優を選出するキャンペーンである。受賞者は WAMPAS Frolicと呼ばれるパーティーに招待され、多くの報道陣から取材を受けることになっている。1930年と33年は独立系映画スタジオの妨害によって開催が見送られた[1]

1934年に再開されたときは、スタジオに所属している女優だけでなく、無所属の女優も選出の対象にされた[2]

1935年、主催者であるWestern Association of Motion Picture Advertisers 解散に伴い、キャンペーンは終了した[2]

1932年のワンパス・ベイビースターズの一人である、ジンジャー・ロジャーズは、1956年に次代のワンパス・ベイビースターズを選出しようと提案したが、主催団体が現存しないため却下された。

それでも、この次世代版ワンパス・ベイビースターズにあたる選出は行われ、以下の15名の女優が選出された[3]

フィリス・アップルゲート、Roxanne Arlen, ジョリーン・ブランド(英語版), Donna Cooke, バーバラ・ハフマン(現:バーバラ・イーデン), Jewell Lain, バーバラ・マルクス(Barbara Marx)[注 1], Lita Milan, Norma Nilsson, Ina Poindexter, Violet Rensin, ドーン・リチャード、デルフィン・サーズデイ(Delfin Thursday)

各年のワンパス・ベイビースターズ

1922年: マリオン・アイエ
(英語版), ヘレン・ファーガソン, ライラ・リー, ジャクリーヌ・ローガン, ルイーズ・ロレイン(英語版), ベッシー・ラヴ, キャスリン・マクガイア, パッツィ・ルース・ミラー, コリーン・ムーア, メアリー・フィルビン, ポーリン・スターク, ロイス・ウィルソン, クレア・ウィンザー

1923年: エリナー・ボードマン, イヴリン・ブレント,ドロシー・デボア(英語版),バージニア・ブラウン・フェアー(英語版),ベティ・フランシスコ(英語版),ポーリン・ギャロン(英語版),キャスリーン・キー(英語版), ローラ・ラ・プラント,マーガレット・リーヒー(英語版), ヘレン・リンチ,デレリーズ・パーデュー(英語版),ジョビナ・ラルストン(英語版),エセル・シャノン(英語版)

1924: クララ・ボウ, エリノア・フェアー(英語版),カーメリタ・ジェラティ(英語版), グロリア・グレイ(英語版),ルース・ハイアット(英語版),ジュランヌ・ジョンストン(英語版), ヘイゼル・キーナー(英語版),ドロシー・マッケイル(英語版), ブランシュ・メハフィー(英語版),マーガレット・モリス(英語版),マリアン・ニクソン(英語版),ルシル・リクセン(英語版), アルバータ・ヴォーン(英語版)

1925: ベティー・アーレン(英語版),バイオレット・ラ・プラント(英語版),オリーヴ・ボーデン(英語版),アン・コーンウォール(英語版),エナ・グレゴリー(英語版),マデリーン・ハーロック(英語版),ナタリー・ジョイス(英語版), ジューン・マーロウ, ジョーン・クロフォード,イヴリン・ピアース(英語版),ドロシー・レヴィア(英語版),デュエイン・トンプソン (英語版), ローラ・トッド

1926: メアリー・アスター,メリー・ブライアン(英語版),ジョイス・コンプトン(英語版), ドロレス・コステロ, ジョーン・クロフォード ,マーセリン・デイ(英語版), ドロレス・デル・リオ, ジャネット・ゲイナー,サリー・ロング(英語版), エドナ・マリオン(英語版),サリー・オニール(英語版),ベラ・レイノルズ(英語版), フェイ・レイ

1927:パトリシア・エイヴリー(英語版),リタ・カリュー(英語版), ヘレン・コステロ,バーバラ・ケント(英語版), ナタリー・キングストン ,フランシズ・リー(英語版), メアリー・マカリスター, グラディス・マッコネル(英語版),サリー・フィップス(英語版),サリー・ランド, マーサ・スリーパー(英語版),アイリス・スチュアート (英語版),アダマエ・ヴォーン(英語版)

1928:リナ・バスケット(英語版),フローラ・ブラムリー(英語版),スー・キャロル(英語版),アン・クリスティー(英語版),ジューン・コリアー(英語版),アリス・デイ(英語版),サリー・アイラース(英語版),オードリー・フェリス(英語版),ドロシー・ガリヴァー (英語版), グウェン・リー,モリー・オデイ(英語版),ルース・テイラー, ルーペ・ヴェレス

1929: ジーン・アーサー, サリー・ブレーン,ベティー・ボイド (英語版),エスリン・クレア(英語版),ドリス・ドーソン (英語版),ジョセフィン・ダン(英語版),ヘレン・フォスター(英語版),ドリス・ヒル(英語版),キャリル・リンカーン(英語版),アニタ・ペイジ,モナ・リコ(英語版), ヘレン・トゥエルブトゥリーズ(英語版), ロレッタ・ヤング

1930: (開催せず)

1931: ジョーン・ブロンデル,コンスタンス・カミングス(英語版),フランセス・デイド(英語版),フランシス・ディー (英語版), シドニー・フォックス,ロシェル・ハドソン(英語版), アニタ・ルイーズ,ジョアン・マーシュ(英語版), マリアン・マーシュ,カレン・モーリー(英語版),マリオン・シリング(英語版),バーバラ・ウィークス(英語版), ジュディス・ウッド,

1932:ロナ・アンドレ(英語版)、リリアン・ボンド, メアリー・カーライル , パトリシア・エリス,ルース・ホール(英語版),エリナー・ホルム(英語版), エヴァリン・ナップ,ドロシー・レイトン(英語版),ブーツ・マロリー(英語版),トシア・モリ(森俊惠), ジンジャー・ロジャース,マリアン・ショックリー(英語版), グロリア・スチュアート, ドロシー・ウィルソン, ジューン・クライド(英語版)

1933: (開催せず)

1934: ジュディス・アーレン(英語版), ベティー・ブリソン(Betty Bryson),ジーン・カーメン(英語版),ヘレン・コーハン(英語版), ドロシー・ドレイク,ジーン・ゲイル,ヘイゼル・ヘイズ(英語版),アン・ホヴェイ(英語版),ルシル・ランド(英語版), ル・アン・メレディス(英語版),ジジ・パリッシュ(英語版), ジャクリーン・ウェルズ(英語版), キャサリン・ウィリアムズ 、ナオミ・ジャッジ(Neoma Judge.)

脚注
注釈^ ゼッポ・マルクスは1970年にバーバラという女性と結婚しているため、この女優はゼッポの妻ではないとみられている

出典^ Vogel, Michelle (2010). Olive Borden: The Life and Films of Hollywood's Joy Girl. McFarland. p. 20. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 0-786-45836-4 
^ a b Slide, Anthony (2014). The New Historical Dictionary of the American Film 。Industry. Routledge. p. 231. ISBN 1-135-92554-2 
^ Chuck Anderson. “ ⇒1956 lineup”. B-westerns.com. 2012年1月6日閲覧。


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