この項目では、ロンドンの1地区について説明しています。この地区を内包するロンドン自治区については「ワンズワース区」をご覧ください。
ワンズワース.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
英語: Wandsworth
聖アン教会、ワンズワース
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英式座標
ワンズワース(英: Wandsworth, [?w?nzw?rθ])は、ワンズワース区に含まれるロンドン南西部の地区である。チャリング・クロスから4.6マイル (7.4 km)の位置にある。この地区はロンドン・プラン(英語版)において、グレーター・ロンドン中の主要地点35の1つに選ばれている[1]。 ワンズワースの名前は、この地区でテムズ川に注ぎ込むワンドル川から取られている。ワンズワースの名前は、1086年のドゥームズデイ・ブックに、"Wandesorde" や "Wendelesorde" として記録されている。これは「Waendel(という名前の人)の土地」という意味だが、この名前もワンドル川から借用したものである[2]。この地区を内包するワンズワース区と区別するため、地区の大部分に渡る、かつての「ワンズワース地区」 (en
地名の由来
歴史1916年に作られた「メトロポリタン・バラ・オブ・ワンズワース」 (en) の地区を表す地図。
ドゥームズデイ・ブック(1086年)が作成された当時、ワンズワース地区はアンスカルフィ(英: Ansculfy)の息子ウィリアムと、聖ワンドリル修道院が分轄していた。ドゥームズデイ・ブックには、面積が12ハイドで、5?ハイドの耕作地と22エーカー (89,000 m2)の草地が存在すると記録されている。土地の価値は9ポンドとされた[3]。少なくとも16世紀初期までには、ワンズワースへの連続した移民の波が訪れている。1590年代の迫害から逃れ、オランダからやって来たプロテスタントの金属細工師たちから、近年東ヨーロッパのEU加盟国からやって来た人々に至るまで、この地区は多様な人々を受け入れてきた[4]。
ワンズワース・タウンの中心とテムズ川の間には、ヤング・アンド・カンパニーズ・ラム醸造所(英語版)の敷地が存在する。伝統的な樽ビールは、1581年から425年間この場所で醸造され続け、ラム醸造所は、継続してビール醸造を行っている英国最古の醸造所になった[要出典]。シャイヤー馬が描かれた醸造所のドレイ[注 1]は、現在でも地元のパブにビールを運ぶ際に使用されている。ヤングスは、2006年9月にベッドフォードのチャールズ・ウェルズ(英語版)と合併した際にワンズワースでの醸造を停止したが、現在でも1人の職人が少量ながらこの場所での醸造を続けている。また、2012年には、この場所を住宅地とショッピング・レジャー施設が併設する地域として再開発する計画が持ち上がっている[6] 。
ワンズワースガス工場は、ワンズワース橋(英語版)近くのテムズ川沿いに1834年に建設された[7]。事業は1854年にワンズワース・アンド・パトニー・ガスライト・アンド・コーク・カンパニー(英: Wandsworth and Putney Gaslight and Coke Company (en) )となり、1856年にはアクト・オブ・パーラメント(英: Act of Parliament)と合併している[7]。 石炭ガスを作るための石炭はノース・イースト・イングランドから運び込まれ、ガス工場脇のテムズ川で荷下ろしされた[7]。会社は数度の合併と買収を経て大きくなり、1936年までにはロンドン南西部のかなり広範囲にガスを供給するようになった[7]。会社の名前は合併や近隣会社による買収の度に変更されていたが、1936年からは一貫して「ワンズワース・アンド・ディストリクト・ガス・カンパニー」(英: Wandsworth and District Gas Company (en) )との名称が使われている[7]。会社は1949年に国営化され、サウス・イースタン・ガス・ボード (South Eastern Gas Board) の一部に組み込まれている[7]。
地理チャーチ・ロウ (Church Row, 1?6, Wandsworth Plain, London SW18)
川沿いの以前埠頭が存在した地域は、現在新しいアパートメントが建ち並ぶ区域になっており、バーやレストランもいくつか開店している。シップ・イン(英: the Ship Inn)やウォーターフロント(英: the Waterfront)といった有名パブは、それぞれワンズワース橋(英語版)両端の西側・東側に位置している。
ワンズワース・コモン(英語版)はテムズ川から少し離れた、イースト・ヒルの頂上にあり、地域で「トーストラック」(英: "the Toast Rack")として知られる高級タウンハウス街に隣接している[4][注 2]。また同じ地域には、レストランシェ・ブルース(英語版)があるが、この店はかつてハーヴェイズ(英: Harveys)として知られた店で、シェフのゴードン・ラムゼイはここで修業をしていたほか、1999年にミシュランの1つ星を獲得したブルース・プールが共同経営者を務めている。