ワレリー・ゲラシモフ
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ワレリー・ゲラシモフ
Вале?рий Васи?льевич Гера?симов
2017年のワレリー・ゲラシモフ
生誕 (1955-09-08) 1955年9月8日(68歳)
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
タタール自治ソビエト社会主義共和国
カザン
所属組織ソビエト連邦軍
ロシア連邦軍
軍歴1976年 -
最終階級 上級大将[1]
戦闘第二次チェチェン紛争
シリア内戦
ウクライナ紛争 (2014年-)
勲章ロシア連邦英雄
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ワレリー・ワシリエヴィチ・ゲラシモフ(ロシア語: Вале?рий Васи?льевич Гера?симов; IPA: [v??l?er??j v??s?il??v??t? g???ras??m?f]、1955年9月8日 - )は、ロシア軍人ロシア連邦軍参謀総長兼第一国防次官、2022年ロシアのウクライナ侵攻の総司令官に任命されたことが発表された[2]が、同年7月には解任されたとも報じられている。戦略家であり、「ゲラシモフ・ドクトリン」の提唱者とされている。
出生・学歴

ソビエト連邦タタール自治ソビエト社会主義共和国カザンに生まれる。カザン・スヴォーロフ軍事学校(1971-1973年)、カザン高等戦車指揮学校(1973-1977年)、マリノフスキー機甲部隊軍事アカデミー(1984-1987年)、ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミー(1995-1997年)を卒業した[3]
軍歴

1977年から、当時はソ連の衛星国だったポーランド駐留の北方軍集団第90親衛戦車師団第80戦車連隊で小隊・中隊長、大隊の首席参謀、1982年から1984年まで極東軍管区第29自動車化狙撃師団の大隊首席参謀と大隊長を務めた。

1987年にマリノフスキー機甲部隊軍事アカデミーを卒業後、沿バルト軍管区・北西軍集団第144親衛自動車化狙撃師団の副戦車連隊長、同連隊長、副師団長を歴任し、ソビエト連邦の崩壊後の1993年には師団長に就任した[4]

1997年に参謀本部軍事アカデミーを卒業後、モスクワ軍管区の第1副司令官(1997-1998年)を務め、1998年2月からは北カフカーズ軍管区第58諸兵科連合軍参謀長、副指揮官を歴任、2001年2月には指揮官に就任した。第二次チェチェン紛争では大規模な戦闘行動に従事した[5]

2003年3月から極東軍管区参謀長、2005年4月から軍隊の戦闘訓練・サービス主管部部長を歴任。2006年12月、北カフカーズ軍管区参謀長に就任。

2007年12月11日から2009年2月5日までレニングラード軍管区の司令官、2009年2月5日から2010年12月23日までモスクワ軍管区の司令官を務めた[6]

2010年12月23日、大統領令により、ロシア連邦軍参謀本部副長官に任命された[7]

2009年から2012年にかけて、独ソ戦戦勝記念日パレードの指揮を執った[5]

2012年4月26日、中央軍管区の司令官に任命された[8]
ロシア連邦軍参謀総長として

2012年11月9日、ロシア国防省汚職疑惑のあおりを受け、国防相のアナトーリー・セルジュコフおよびロシア連邦軍参謀総長のニコライ・マカロフが解任された[9][10]セルゲイ・ショイグ新国防相は、ロシア大統領ウラジーミル・プーチンに対し、参謀総長および国防省第一副大臣の地位にゲラシモフを指名し[10]、同日プーチン大統領により任命された[11][12]

2014年、ドンバス戦争イロヴァイスクの戦いは、ロシア軍と親ロシア反乱軍の決定的勝利となり、ミンスク合意のきっかけの一つとなったが、ロシア側の総指揮官はゲラシモフであったとウクライナ保安庁は主張している[13]。この戦いでは1000人以上のウクライナ兵が犠牲となった。

2016年5月、ロシア大統領により、最高の国家賞であるロシア連邦英雄の称号を授与された[14]

ロシア・ウクライナ危機 (2021年-2022年)下の2021年12月9日、ゲラシモフはウクライナ政府に対し、ドンバス戦争を武力で解決しようとしないよう警告を発した[15]。ゲラシモフは「ロシアのウクライナ侵攻が迫っているという情報は嘘だ」と述べた[16]が、2022年のロシアのウクライナ侵攻の計画に関与していたとみられている[17][18]

2022年のロシアのウクライナ侵攻において、ゲラシモフがロシア軍を自ら指揮するため、前線であるハルキウ州イジュームに到着したと報道された[19][20]。ゲラシモフは、2022年5月1日にイジューム付近でウクライナ軍の砲撃により脚を負傷したと報道された[21][22]アメリカ合衆国は諜報活動などでウクライナを支援しており、2人のアメリカ当局者がゲラシモフのこの地域への滞在を確認したが、あるウクライナ当局者はウクライナは特にゲラシモフを狙っていなかったとし、指揮所が襲われたときゲラシモフは既にロシアへ戻るために出発していたと述べている[23]


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