ワルサーPPK
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ワルサーPPKワルサーPPK(7.65mmモデル)
概要
種類警察自動拳銃
製造国 ドイツ国
フランス
 ハンガリー
アメリカ合衆国
設計・製造ワルサー
マニューリン社
Fegyver- es Gazkeszulekgyar(FEG)社
スミス&ウェッソン
性能
口径.22(5.6mm)
.25(6.35mm)
.32(7.65mm)
.38(9mm)
銃身長83mm
使用弾薬.22LR弾(5.6x15mm)
.25ACP弾(6.35x16mm)
.32ACP弾(7.65x17mm)
.380ACP弾(9x17mm)
装弾数7+1発(.32ACP弾)
6+1発(.380ACP弾)
作動方式ダブルアクション
ストレートブローバック
全長155mm
重量635g
銃口初速310m/s
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ワルサーPPK(Walther PPK)は、ドイツカール・ワルサー社が開発した小型セミオートマチック拳銃で、警察拳銃として開発されたワルサーPP(Polizei Pistole)を私服刑事向けに小型化したものである。

名称の“K”は、もともとドイツ語で「刑事用」を意味するクリミナール(Kriminal)の頭文字だが、一般には「短い」を意味するクルツ(Kurz)の頭文字だと解釈されることも多い[1]
概要

中型拳銃として開発されたワルサーPPを小型化したもの。ダブルアクショントリガーなどの内部機構はほぼ同一で、一部の部品には互換性がある。

使用弾薬は、.22LR弾.25ACP弾.32ACP弾.380ACP弾(9mm Kurz)など。

PPKは、ジェームズ・ボンドの愛銃としても知られ、特にアメリカ合衆国の民生用拳銃市場で人気の製品となった[2]1968年に小型拳銃の輸入規制が法制化(1968年銃規制法(英語版))された後には、これに対応するべく、やや大型なPPのフレームにPPKの銃身およびスライドを組み合わせたPPK/S(SはSportsの頭文字)が開発され、1969年から販売されている。PPK/Sはグリップが大きくなり、手の大きな人には扱いにくいという小型ピストルの欠点を補う効果もあった。
歴史

1931年に発売開始。プロイセン州警察からの要請に基づき、ショルダーホルスターを用いて拳銃を携行する私服警官向けのコンパクトなモデルとして設計された[3]

ナチス・ドイツ時代(1933年 - 1945年)には、警察組織のほかにドイツ国防軍国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)指揮下の準軍事組織(SASSなど)によって制式拳銃として採用されていた。ゲシュタポのエージェントらには.32ACP弾(7.65mm)仕様のモデルが好まれた。また、総統アドルフ・ヒトラーも7.65mm(32ACP弾)仕様のPPKを所持しており、彼が1945年の自殺に用いたのもPPKだった[2]

第二次世界大戦中から戦後にかけて、PPおよびPPKは各国の小型拳銃の設計に影響を与えた。例えばソビエト連邦マカロフ拳銃ハンガリーのFEG PA-63(英語版)、チェコのvz. 50(英語版)などはPPおよびPPKの影響を受けて開発された[2]。大戦中の生産数は150,000丁を上回った[2]

敗戦後、赤軍が進駐したドイツ東部から西部へと脱出したフリッツ・ワルサーは、ウルムにてワルサー社の再建に着手した。1952年、ワルサーは再建資金を確保するべくフランスのマニューリン(英語版)(Manurhin[注 1])に接触し、PPシリーズの製造許可を与えた。マニューリンとの契約は1986年に失効した[4]1961年からは新生ワルサー社でも生産が始められ、現在でも販売されている。

冷戦期には、東西各国の秘密活動を担当する情報機関において制式拳銃として採用された。MI5/MI6イギリス)、BND西ドイツ)、SDECEフランス)、モサドイスラエル)といった機関のほか、カナダアメリカ合衆国の諸機関でも使用された[2]

日本の警察でもSP皇宮警察などで要人警護用にワルサーPPKが使われていた。現在はSIG SAUER P230JPに更新されている。
特徴
安全装置
安全装置をかけると撃鉄(ハンマー)が撃発寸前の位置まで自動的に落ちるデコッキング機能を持つ。安全装置を掛けた状態では、ファイアリングピンはセーフティーレバーで固定され、ハンマーもハンマーブロックで前進を阻止される。ハンマーダウンで安全装置のかかっている状態では撃鉄および引き金が固定される。セーフティー解除後の初弾はダブルアクションで撃つ事になるが、撃鉄を引き起こしておけばシングルアクションでの射撃も可能。
ローデッド・チャンバー・インジケーター
薬室実弾が装填されると、薬莢の底部の縁にシグナルピンが当たり、撃鉄の上部に露出して、銃を握った時に親指、および目視で確認できるようになる。22口径弾薬はリムファイア式(薬莢の底部の、外周を叩いて発火する方式)のため、初弾を装填する際にインジケーターが当たると暴発の危険があるので、省略されている。これらの機構は、拳銃として採用されたワルサーP38でも採用されている。
スライドストップ
最終弾を撃ち終わると内蔵されたスライドストップによりスライドが後退状態で保持される。スライドストップを押し下げるスライドリリースレバーは無く、弾倉交換後にスライドを少し後ろに引いて離せば初弾が装填されて射撃可能となる。
通常分解
通常分解はトリガーガードを下に引き下げ、そのままスライドを最後端まで引き、上に持ち上げてから前に戻せば抜けるようになっている。
派生型
PPK/S
1958年ジェームズ・ボンドシリーズの小説6作目として『007 ドクター・ノオ』が発表された。主人公ジェームズ・ボンドは従来ベレッタ 418(英語版)を愛用していたのだが、『ドクター・ノオ』にてワルサーPPKに持ち替えることとなる。これがきっかけとなり、アメリカ合衆国の民生用拳銃市場でも一躍人気の製品となった[2]。しかし、1963年に発生したケネディ大統領暗殺事件をきっかけに、米国内で小型拳銃を規制する気運が高まり、1968年に起きたロバート・ケネディ暗殺事件が決定打となり、小型拳銃の輸入規制が法制化される(1968年銃規制法(英語版))。新制度の輸入基準に照らし合わせると、PPKは垂直幅(高さ)が1/10インチ、重量が1オンス不足していた。これに対応するべく開発されたのがPPK/Sである。基本的にはPPKよりやや大きいPPのフレームにPPKの銃身およびスライドを組み合わせたもので、これにより十分な垂直幅と重量が確保された。PPK/SのSはSportsの頭文字で1969年から販売が開始された。1978年からはアラバマ州のレンジャー・マニュファクチャリング社(Ranger Manufacturing)にてPPKおよびPPK/Sのライセンス生産が始まった。2007年からはスミス&ウェッソン社がPPKおよびPPK/Sのライセンス生産を担当していた[2]。2012年以降、アメリカ合衆国におけるワルサー社製品の販売はワルサー・アームズ(英語版)社が担当している。
PPK-L
1960年代に入り、ワルサー社はアルミ製レシーバーを採用した軽量モデルとしてPPK-Lを発表した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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