ワルキューレの騎行
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『ヴァルキューレ』(ドイツ語: Die Walkure)は、リヒャルト・ワーグナー1856年に作曲し、1870年に初演した楽劇[注 1]。台本も作曲者による。『ワルキューレ』の表記もある[1]。ワーグナーの代表作である舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』四部作の2作目に当たる。
概要岩の上のブリュンヒルデ:ショット社ヴォーカルスコアの表紙絵(1899年)

『ニーベルングの指環』四部作は、ひとつのプロローグと3日を要する舞台上演と見なすことができ、その「第1日」に当たる本作『ヴァルキューレ』は、「序夜」(『ラインの黄金』)を除く「三部作」の実質的な幕開けに位置づけられる作品である。

四部作はそれぞれ独立した性格を持ち、単独上演が可能である。そのなかで『ヴァルキューレ』は、もっとも人気が高く、上演機会も多い。感動的な愛情表現の場面や、ライトモティーフの使い方が自然かつ巧緻であるなど作曲技法の円熟を理由に、『指環』四部作にとどまらず、ワーグナーの全作品中でももっとも優れたもののひとつとも見なされている。

とくに、第1幕でのジークムントによる「春と愛の歌」(「冬の嵐は過ぎ去り」)、「ヴァルキューレの騎行」として知られる第3幕の序奏、終盤で「ヴォータンの告別」からつづいて「魔の炎の音楽」で幕切れとなる部分はしばしば独立して演奏される。全3幕からなり、上演時間は約3時間40分(第1幕60分、第2幕90分、第3幕70分)。

物語は、『エッダ』、『ヴォルスンガ・サガ』など北欧神話の物語を軸にしつつドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』を始めとするドイツ英雄伝説や、ワーグナー独自の重層的・多義的な世界が構築されている。直接引用されてはいないがギリシア神話の影響も多分に見られる。なお、ヴァルキューレとは、作品中に登場する、神々の長ヴォータンとエルダの9人の娘たちであるが、題名は定冠詞付きの単数形であることから、ブリュンヒルデひとりを指している。

『ヴァルキューレ』の台本は1852年6月、音楽は1856年にそれぞれ完成された。1870年6月26日、バイエルン宮廷歌劇場にて初演。『ニーベルングの指環』四部作全曲の初演は、1876年8月13日から17日まで開催された第1回バイロイト音楽祭においてである。

バイロイト音楽祭では四部作が連続上演される。内訳は以下のとおり。

序夜 『ラインの黄金』 (Das Rheingold)

第1日 『ヴァルキューレ』 (Die Walkure) 本作

第2日 『ジークフリート』 (Siegfried)

第3日 『神々の黄昏』 (Gotterdammerung)

作曲の経緯
構想と台本

ヤーコプ・グリムが出版した『ドイツ神話』からワーグナーが『ニーベルンゲンの歌』などを知ったのは1843年であった。1848年11月には、後の『神々の黄昏』に当たる『ジークフリートの死』の台本草案を書き、1851年にその前編に当たる『若きジークフリート』(後の『ジークフリート』)を構想、この構想はさらに物語の発端まで拡大されていく。その詳細については『ニーベルングの指環』及び『ラインの黄金』も参照のこと。

1851年10月から『ラインの黄金』の散文スケッチが開始され、1月後の11月から『ヴァルキューレ』のスケッチにも着手。この前後まで、『ラインの黄金』は「ラインの黄金の掠奪」ないしは単に「掠奪」とされ、『ヴァルキューレ』は「ジークムントとジークリンデ;ヴァルキューレの処罰」と題されていたが、ワーグナーが同年11月20日にフランツ・リストに当てた手紙では現在のDie Walkureとなっている。

スケッチは『ヴァルキューレ』の方が早く、翌1852年5月17日から28日に書かれた。この散文スケッチの時点では、現在の形と相違がある。例えば、第2幕の終わりでフンディングは、ヴォータンの「行け!」のひとことで倒されるが、スケッチでは死なずにフリッカに報告に行くようになっていた。これらは、6月からの1ヶ月間に台詞が書かれる中で修正された。

同年11月、『ヴァルキューレ』に遅れること約半年で『ラインの黄金』が完成。同じ年の12月には四部作の台本がすべて完成した。

作曲

1853年9月5日、
イタリアラ・スペツィア滞在中にワーグナーが体験したという「霊感」(詳細については『ラインの黄金を参照』)の後、同年11月から『ラインの黄金』の作曲に着手。

『ヴァルキューレ』については、1854年6月28日に第1幕のスケッチを開始し、9月に第2幕、11月に第3幕に着手。12月27日にスケッチを完了した。

オーケストレーションは『ラインの黄金』が1854年に完成するが、『ヴァルキューレ』についてはその2年後の1856年3月23日に完成した。この間、ワーグナーはロンドン楽旅などで時間をとられていた。

同じく1856年10月13日、フランツ・リストがチューリヒを訪問。10月22日、リスト45歳の誕生日[2]にワーグナーは『ヴァルキューレ』第1幕の試聴会を開く。ここではリストがピアノ伴奏し、ワーグナーがジークムントとフンディング、エミリエ・ハイムがジークリンデを歌った。ワーグナーの歌唱は音程も確かで、参加者を感動させたという。

その後、『ジークフリート』が1858年から1864年にかけての中断をはさんで1871年に、『神々の黄昏』は1874年にそれぞれ完成した。

初演
単独初演
1870年6月26日バイエルン宮廷歌劇場にて。指揮はフランツ・ヴュルナー。主な配役は次のとおり。

ハインリヒ・フォーグル(ジークムント)

テレーゼ・フォーグル(ジークリンデ)

アウグスト・キンダーマン(ヴォータン)

ゾフィー・シュテーレ(ブリュンヒルデ)

全曲初演
『ニーベルングの指環』四部作としての初演は1876年8月14日、バイロイト祝祭劇場にて開催された第1回バイロイト音楽祭である。指揮はハンス・リヒター


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