ワフー_(SS-238)
[Wikipedia|▼Menu]

USS ワフー

基本情報
建造所メア・アイランド海軍造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種攻撃型潜水艦 (SS)
級名ガトー級潜水艦
艦歴
発注1940年6月28日[1]
起工1941年6月28日[2]
進水1942年2月14日[2]
就役1942年5月15日[2]
最期1943年10月11日宗谷海峡付近にて戦没
除籍1943年12月6日
要目
水上排水量1,526 トン
水中排水量2,424 トン
全長311フィート9インチ (95.02 m)
水線長307フィート (93.6 m)
最大幅27フィート3インチ (8.31 m)
吃水17フィート (5.2 m)
主機フェアバンクス・モース38D-1/8型10気筒ディーゼルエンジン×4基
電源エリオット・モーター製 発電機×2基
出力水上:5,400馬力 (4.0 MW)
水中:2,740馬力 (2.0 MW)
最大速力水上:20.25ノット
水中:8.75ノット
航続距離11,000カイリ/10ノット時
潜航深度試験時:300フィート (91 m)
乗員士官6名、兵員54名(平時)
80 - 85名(戦時)
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

21インチ魚雷発射管×10基(前方6,後方4)/魚雷×24本


就役時[2]
3インチ砲×1基7.62mm50口径機銃×2基7.62mm30口径機銃×2基
最終時
4インチ砲(英語版)×1基20mm機銃×2基

テンプレートを表示

ワフー (USS Wahoo, SS-238) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はフロリダから西インド諸島にかけて生息するカマスサワラに由来する。

アメリカ海軍の潜水艦でワフーの艦名を持つのは本艦が最初であり、他にタング級潜水艦の一艦に「ワフー (SS-565)」 がある[注釈 1]カマスサワラ(Wahoo)
艦歴

「ワフー」は1941年6月28日にカリフォルニア州ヴァレーオメア・アイランド海軍造船所で起工、1942年2月14日、ウィリアム・C・ベーカー夫人によって進水した。5月15日に竣工し、マービン・G・"ピンキー"ケネディ少佐(アナポリス1929年組)の指揮のもと就役する。整調と就役後の訓練をカリフォルニア南方のサンディエゴで行った。8月12日ハワイ真珠湾に向けて基地を出発、8月18日に真珠湾に到着し8月21日まで訓練を行った。
第1の哨戒 1942年8月 - 10月

8月23日、「ワフー」は最初の哨戒でトラック島近海に向かった。トラック、ナモヌウィト(英語版)両環礁近海で哨戒し、9月6日明け方には、トラックの西北西海域で最初の獲物となる2,400トン級タンカーを発見し、魚雷を3本発射したが全て外れ、逆に反撃を受けたため退散した[3]。「ワフー」はトラック諸島周辺で9月20日までパトロールすることに決めた。その9月20日の夜、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯07度43分 東経150度36分 / 北緯7.717度 東経150.600度 / 7.717; 150.600の地点で6,500トン級輸送船と護衛艦を発見し、輸送船に向けて魚雷を3本発射[4]。次に観測してみると、輸送船は左に傾いているように見え、続いて3回の爆発音が聞こえた。護衛艦が向かってきたが、スコールの中に逃げ込み無事であった[5]。「ワフー」は6,500トン級輸送船の撃沈を報じたが[6]、戦後のJANAC(英語版)の調査の結果、この戦果は認定されなかった。「ワフー」は飛行機や監視艇に遭遇した後、ナモヌウィト環礁南西端のウールール島近海に移動。数隻の漁船の他、2つの大物を発見したが逃すこととなった。1つ目は9月30日に北緯07度58分 東経151度02分 / 北緯7.967度 東経151.033度 / 7.967; 151.033の地点で発見した水上機(特殊潜航艇)母艦千代田」と思しき大型艦で、単独航行中のところを発見したものの、「ワフー」の射程圏内に入ってこなかった[7]。もう一つは10月5日に、北緯09度15分 東経149度00分 / 北緯9.250度 東経149.000度 / 9.250; 149.000の地点で2隻の天霧型駆逐艦に護衛された龍驤型空母と思しき大型艦を発見したが、これまた射程圏外を航行し去っていった[8]。10月7日に哨戒海域を後にして真珠湾に針路を向けた[9]。10月17日、55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。翌日から、潜水母艦「スペリー(英語版) (USS Sperry, AS-12) 」に横付けし、砲兵装を4インチ砲と20ミリ機銃に換装し、この工事は11月2日まで行われ、工事後の3日間は慣熟訓練にあてられた。
第2の哨戒 1942年11月 - 12月

11月8日、「ワフー」は2回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。ミリジャルートブタリタリ近海を抜けて11月22日にブーゲンヴィル島沖の哨区に到着[10]。11月30日深夜、南緯04度55分 東経145度59分 / 南緯4.917度 東経145.983度 / -4.917; 145.983の地点で輸送船と駆逐艦を発見したが、接近し切れなかった[11]。この海域で17日間哨戒したが戦果が挙がらないので、トラックとブーゲンヴィル島を結ぶ航路を狙って哨戒海域を移動したが相変わらず戦果はなく、元の海域に戻った[12]。12月10日午後、南緯04度45分 東経154度58分 / 南緯4.750度 東経154.967度 / -4.750; 154.967のショートランド諸島東方で「朝潮型駆逐艦」に護衛された3隻の輸送船を発見し、まず魚雷を4本発射して特設運送船(給炭)「かもゐ丸」(北海道炭礦汽船、5,355トン)に3本を命中させ、2時間後に沈没した[13]。爆雷40発による反撃もあったが無事であった[14]。SJレーダー(英語版)を使った2度目の攻撃のあと、新しい海域に向かった。12月14日朝、南緯06度22分 東経156度13分 / 南緯6.367度 東経156.217度 / -6.367; 156.217の地点で病院船「まにら丸」(大阪商船、9,486トン)を発見[15]。午後には、南緯06度30分 東経156度09分 / 南緯6.500度 東経156.150度 / -6.500; 156.150の地点で12ノットで浮上航行する潜水艦を発見し、魚雷を3本発射して命中させて撃沈したと判断される[16]。これは「伊15」と推定されたが、実際に雷撃されたのはショートランドからトラックに向かっていた「伊2」であり、魚雷は命中しなかった。12月15日にはブカ島キエタを偵察[17]。12月26日、48日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。12月31日、ケネディ少佐は駆逐艦勤務に転じて艦長となり、ノルマンディー上陸作戦に参加した。後任には、ダドリー・W・"マッシュ"モートン中佐(アナポリス1930年組)が昇格した。「ワフー」は次の哨戒までに、モートン湾で駆逐艦「パターソン(英語版) (USS Patterson, DD-392) 」とソナーの試験を行った。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:115 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef