ワズィーリスターン(ウルドゥー語・パシュトー語:????????、英語:Waziristan)は、パキスタン北西部の連邦直轄部族地域(FATA)にある地域である。面積はおよそ11,585km2。日本語ではワジリスタンという表記も多い。 荒れた山岳地帯で、国境に位置し、西にはアフガニスタンのパクティーカー州がある。ペシャーワルに近接し、東にはカイバル・パクトゥンクワ州がある。 ワズィーリスターンは1893年までイギリス領インド帝国の支配の及ばない辺境の部族地域で、ワズィーリスターンからムスリムの部族が度々帝国内に侵入を試みたため[1]、1860年から1945年にかけてイギリスは何度も軍隊を派遣し鎮圧しようとした。 1919年、アフガニスタンが第三次アフガン戦争でイギリス領インド帝国に攻め込むと、それに触発されてワズィーリスターン暴動 1947年、ワズィーリスターンはパキスタンに編入された。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 ワズィーリスターン暴動
2.2 パキスタン編入
2.3 ワズィーリスターン紛争
3 政治
4 行政区分
4.1 北ワズィーリスターン管区
4.2 南ワズィーリスターン管区
5 住民
5.1 民族
5.2 言語
5.3 宗教
6 脚注
7 関連項目
地理
歴史
ワズィーリスターン暴動
パキスタン編入
ワズィーリスターン紛争詳細は「ワジリスタン紛争」および「en:Drone attacks in Pakistan
2004年3月16日 - 3月23日、ワナの戦い。 ワズィーリスターンの各部族は「大会議」(ロヤ・ジルガ)を構成する長老を中心に男性だけによって統治され、女性は社会的な活動だけでなく家事からも遠ざけられている。部族内の絆は、ワズィーリスターンに適用されてきた「辺境犯罪規則」の「集団責任法」によって堅固に保たれてきた。血の抗争が絶えない勇ましい風土で知られてきた。
政治
行政区分
北ワズィーリスターン管区詳細は「北ワズィーリスターン管区(英語版
ミーランシャー(英語版)(Miranshah)の町を中心としワズィール族に属するDarwesh Khel族が住んでいる。人口はおよそ36万人(1988年推計)、面積は4,473km2。 ほとんどが要塞化された山間の村落に住んでいる。アフガニスタンのホースト州と接し、国境の出入りは自由な状態である。
ターリバーン(ハッカーニ・ネットワーク)などの武装組織がアフガニスタンから北ワズィーリスターンへ越境して軍事拠点としているが、パキスタン政府との大きな衝突は避けられている[2]。
南ワズィーリスターン管区詳細は「南ワズィーリスターン管区(英語版)」を参照
人口はおよそ43万人(1988年推計)、面積は6,500km2。中心となる町はワナ(英語版)(Wana)。パキスタンで最も政情不安な地域であり、パキスタン政府の支配だけでなく外部勢力が侵入しワズィール族の支配が及んでいない地域も多い。ワズィール族の宗教指導者は伝統的に部族外から選ばれることが多かった。ワズィール族の他に同じパシュトゥーン人に属するMahsud族とBurki族も居住している. ワズィーリスターン全域がパシュトゥーン人のワズィール族 ワズィーリウォラ語 ウィキメディア・コモンズには、ワズィーリスターン
住民
民族
言語
宗教が望まれています。
脚注^ Lawson, Alastair (2008年4月21日). “ ⇒Why Britons walked warily in Waziristan”. BBC News. BBC. 2008年4月21日閲覧。
^ “情報が漏れる? ハッカニ派、パキスタン政府の掃討作戦前に脱出疑惑 軍との密接関係裏付け”. 産経ニュース (2014年7月14日). 2018年9月8日閲覧。
関連項目
ワジリスタン紛争
更新日時:2018年9月8日(土)11:04
取得日時:2019/07/26 06:24