ワシントン・ナショナルズ
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この項目では、現存する球団について説明しています。過去に存在した球団については「ワシントン・ナショナルズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ワシントン・ナショナルズ
Washington Nationals
1969年創設



所属リーグ


ナショナルリーグ (1969年 - )

東地区 (1969年 - )


チーム名


ワシントン・ナショナルズ (2005年 - )

モントリオール・エクスポズ (1969年 - 2004年)

ワシントン・ナショナルズ (2005年 - )


本拠地
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カナダケベック州モントリオール (1969年 - 2004年)

ワシントンD.C. (2005年 - )


ナショナルズ・パーク (2008年 - )

RFKスタジアム (2005年 - 2007年)

オリンピック・スタジアム (1977年 - 2004年)

ヒラム・ビソーン・スタジアム (2003年 - 2004年)


ジェリー・パーク (1969年 - 1976年)

永久欠番



11

42


獲得タイトル(獲得年)

ワールドシリーズ優勝(1回)

2019


リーグ優勝(1回)


2019

地区優勝(5回)


1981

2012

2014

2016

2017

ワイルドカード(1回)


2019


球団組織
オーナーマーク・ラーナー
GMマイク・リゾ
監督デーブ・マルティネス

ワシントン・ナショナルズ (英語: Washington Nationals、略称: WSH、ナ軍) は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ東地区所属のプロ野球チーム。本拠地は、ワシントンD.C.にあるナショナルズ・パーク。Nats(ナッツ)と略されることもある。

2004年までは「モントリオール・エクスポズ(英語: Montreal Expos、略称: MON、エ軍)」の名で、カナダケベック州モントリオールを本拠地としていた。由来は、1967年モントリオールで開催された万国博覧会Expo '67」。2005年にアメリカ合衆国ワシントンD.C.に移転したことにより、現在ではアメリカ国外に拠点を置くMLB球団はトロント・ブルージェイズのみとなった。
球団の歴史シーズン成績の詳細については年度別成績一覧を参照
ワシントン・ナショナルズ

「ナショナルズ」の愛称は南北戦争前の1859年にホワイトハウスの職員を中心に結成されたワシントンD.C.最古の野球チーム『ナショナル・ベース・ボール・クラブ』に由来する。19世紀にはワシントンD.C.を本拠地とするいくつものプロ野球の球団がこの愛称を用いたが、いずれも成績不振から短命に終わってきた。
エクスポズ時代詳細は「:en:Montreal Expos」を参照

現球団はモントリオール・エクスポズとして1969年に創設。アメリカ合衆国以外の国カナダに出来た史上初のMLB球団であった。1969年の結成当初から8年間使用されたジェリー・パークはモントリオール市営の野球場だったが、当初はアマチュア野球の専用グラウンドだったので3000人程度しか収容することが出来なかった。そこで1969年の開幕前に急遽外野席を取り付けるなどしてMLB開催に対応する球場として開場を果たした。ジェリー・パークは当初「ドーム球場が完成するまで使用する」時限契約という形だったのだが、その後チームの予算が厳しいことから1976年で使用を中止し、陸上スタジアムだったオリンピックスタジアムを野球場に改良して1977年から使用を開始した。

1979年に初のシーズン勝ち越し、1981年に初の地区優勝。しかし、人気低迷に悩まされ、年間観客動員数が100万人を割る年もあった。1990年代前半に若干人気を回復し、1991年シーズンにはデニス・マルティネスがMLB史上13人目の完全試合(英語版)を達成、記録達成時に実況のデーブ・バン・ホーン(英語版)が叫んだ「エル・プレジデンテ、エル・パーフェクト!」の台詞はその後のエクスポズファン精神を示す共通語ともなった[1]。しかしこのシーズンの終盤、オリンピック・スタジアムの可動式ドームの構造体の一部が崩落、負傷者こそ出なかったもののオリンピック・スタジアムの存続がエクスポズの大きな問題となり、安全性の懸念からファン離れを起こす事態を招いた[2]。結局、同年11月に可動式ドームを固定式とする安全対策を施し、1992年シーズンにホームグラウンドを持たない「流浪の球団」と化す事態だけは回避できたものの、この改修は応急補修に過ぎず、オリンピック・スタジアムの老朽化問題はその後もチームの動向に暗い影を落とすこととなる。

1994年には途中までナ・リーグ東地区の首位を快走していたものの、MLB選手会の1994年から1995年のMLBストライキのためシーズン自体が中断した。当時のオーナーであるクロード・ブロシュー(英語版)はストライキの結果発生が予想された選手の年俸の大幅高騰を恐れ、シーズン終了後に主力選手の殆どを放出するMLB史上最悪とも言われる「ファイアー・セール」を決行してモントリオールのファンを激怒させ、これを機に再び観客が激減し、二度と客足が戻ることは無かった。皮肉にも、エクスポズが躍進した1981年と1994年はいずれもMLB選手会によるストライキによってシーズンが中断した年であり、このため「ストライキの年には強いエクスポズ」と揶揄されることもあった。

1990年代後半になると、雑多な人種が移民として定住するモントリオールでのエクスポズの人気と知名度は低下の一途を辿っていった。1992年から2001年まで監督を務めたフェリペ・アルーの回想によると、この時期にドミニカ共和国からモントリオールを訪れたアルーの友人の逸話として、1週間の滞在中市井で1度もエクスポズの野球帽を販売する店舗を見つけることが出来なかったこと。エクスポズの試合を観戦するためタクシーでオリンピック・スタジアムに乗り付けたところ、ドライバーがスタジアムの入り口を見つけることが出来ず、周囲にエクスポズの試合が開催されていることを示す看板の類も一切無かったため、結局スタジアムに辿り着けず観戦が行えなかった事などが挙げられている[3]。オーナーとしてのブロシューは、1991年の就任以来一貫して「モントリオールにエクスポズを存続させる」事に固執し、チームの実状を度外視したコストカットやなりふり構わぬスポンサーの獲得等に腐心しており、1994年のファイアー・セールもエクスポズを守る上で致し方の無い選択であったと回想している。ブロシューは「球団創設30周年である1999年までに、モントリオール市内に新球場を建設して移転する」計画も持っており、ケベック州政府と交渉を重ねたが計画は頓挫、これを最後にエクスポズを手放し、MLBから手を引いた。

1999年にオーナーに就任したジェフリー・ローリアは、その手腕から「米国スポーツ史上最悪のオーナーの一人」「MLB史上最も嫌われた男」と呼ばれる事も多い人物で[4][5][6][7]、彼の指揮の下でエクスポズは更なる低迷に喘ぐことになる。


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