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Washington Wizards
2021-22シーズンのワシントン・ウィザーズ
チームロゴ赤、白、ネイビーを基調としたバスケットボールを背景に、その中は星とワシントン記念塔にいたデザイン。
所属リーグ'"`UNIQ--templatestyles-00000007-QINU`"' NBA
カンファレンス イースタン・カンファレンス
ディビジョン サウスイースト
創設1961年
チーム史シカゴ・パッカーズ
(1961-1962)
シカゴ・ゼファーズ
(1962-1963)
ボルティモア・ブレッツ
(1963-1972)
キャピタル・ブレッツ
(1973-1974)
ワシントン・ブレッツ
(1974-1997)
ワシントン・ウィザーズ
(1997 - )
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ワシントンD.C.
アリーナキャピタル・ワン・アリーナ
チームカラーネイビー, 青, 赤, シルバー, 白[1][2]
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主なスポンサーGEICO[3]
オーナーMonumental Sports & Entertainment(英語版)
GMウィル・ドーキンス
ヘッドコーチウェス・アンセルド・ジュニア
優勝歴1回 (1978年)
ファイナル進出4回(1971年, 1975年, 1978年, 1979年)
ディビジョン優勝8回(1969年, 1971年, 1972年, 1973年, 1974年, 1975年, 1979年, 2017年)
永久欠番 10 11 25 41 45
NBAGL提携チームキャピタルシティ・ゴーゴー
公式サイトwww.nba.com/wizards
AssociationIconStatement
City
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ワシントン・ウィザーズ(Washington Wizards)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.に本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョン所属。チーム名は1997年まで"bullets"「弾丸」であったが、銃社会が批判に曝される風潮の中、イメージダウンを招くとして"Wizard"「魔法使い」に変更された。
歴史
チーム創設期
現在、ウィザーズとして知られているチームは、1961年にシカゴ・パッカーズとして新規加入したチームが始まりである。翌年、ゼファーズと名前を変えている。その次の年にメリーランド州ボルティモアに本拠を移動し、ボルティモア・ブレッツになる。1940年代に存在したボルティモア・ブレッツとは何の関係もない。
1964-65シーズンを前に大型トレードをデトロイト・ピストンズとの間で行い、このシーズン初めてプレイオフに進出、セントルイス・ホークスを4-1で破り、ウェスタン・カンファレンス決勝でロサンゼルス・レイカーズに2勝4敗で敗退した。
1960年代後半から1970年代
1968年には、殿堂入りする2選手が加入する。アール・モンローとウェス・アンセルドである。その年チームは前年の36勝から57勝へと大きく改善された。アンセルドは新人王とMVPを獲得した。その年のプレイオフで期待されたブレッツだったが、1回戦でニューヨーク・ニックスの前に0-4で敗退した。その次の年も両チームはプレイオフ1回戦で対戦しニックスが勝ち上がった。
70-71シーズン、イースタン・カンファレンス決勝で再びニックスと対戦したが、この時ニックスの主力ウィリス・リードは負傷しており、4-3で勝利したブレッツは初めてNBAファイナルに進出した。しかしファイナルではミルウォーキー・バックスに0-4で一蹴された。そのシーズン以降3年連続でニューヨーク・ニックスとプレイオフで戦い全て敗戦する。
1973年にチームは、メリーランド州ランドーバーに移動し、キャピタル・ブレッツになるが、翌年、ワシントン・ブレッツに名前を変える。移転以降も1990年代半ばまでブレッツは年に数試合をボルティモアで行った。
1974-75シーズンを60-22(ホームでは36-5)で終了し、2度目のNBAファイナルへと進むが、リック・バリー率いるゴールデンステート・ウォリアーズに0-4で敗れる。
翌シーズン前年より12勝減らし、クリーブランド・キャバリアーズにプレイオフで敗れたブレッツは勝率62%を記録したヘッドコーチ、K.C.ジョーンズを解雇する。
1977-78シーズン、ディック・モッタに率いられたエルヴィン・ヘイズ、アンセルドのブレッツは44勝38敗でシーズンを終えたがそこから長い道のりであったNBAファイナルまで勝ち進み、シアトル・スーパーソニックスを4-3で破りNBAチャンピオンとなった。