ワシル・ロマチェンコ
基本情報
本名ワシル・アナトリョビッチ・ロマチェンコ
通称Hi-Tech(ハイテク、高性能)
Loma
階級ライト級
身長170cm
リーチ166cm
国籍 ウクライナ
誕生日 (1988-02-17) 1988年2月17日(32歳)
出身地オデッサ州ビルホルド・ドニストロフスキー
獲得メダル
ウクライナ
男子 ボクシング
オリンピック
金2008 北京フェザー級
金2012 ロンドンライト級
世界ボクシング選手権
銀2007 シカゴフェザー級
金2009 ミランフェザー級
金2011 バクーライト級
ヨーロッパアマチュアボクシング選手権
金2008 リヴァプールフェザー級
AIBA世界ユース選手権
金2006 アガディールフライ級
ワシル・ロマチェンコ
YouTube
チャンネル
LOMA Official TV
活動期間2018年5月3日 -
登録者数約9万人
総再生回数約816万回
チャンネル登録者数、総再生回数は2020年10月6日時点。
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ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ語: Василь Анатол?йович Ломаченко, ラテン文字転写: Vasyl Anatoliyovich Lomachenko、男性、1988年2月17日 - )は、ウクライナのプロボクサー。オデッサ州ビルホルド・ドニストロフスキー出身。元WBO世界フェザー級王者。元WBO世界スーパーフェザー級王者。元WBAスーパー・WBCフランチャイズ・WBO世界ライト級統一王者[注釈 1]。世界最速の3階級制覇王者。アマチュアでも輝かしい成績を誇り、北京オリンピックはフェザー級、ロンドンオリンピックはライト級で制し、オリンピック2連覇を果たした。アマチュア時代はたった1回しか負けたことがない。プレッシャーをかけ手数を多く出して多彩なテクニックを武器に試合を組み立てる。特にコンビネーションを交えたボディ攻撃が巧い。ボブ・アラムのトップランク所属。目次 トレーナーには父親のアナトニーがついているが、もし父親がボクシングのトレーナーをやっていなければアイスホッケーを選んでいただろうと話している[2]。左の腹部に父親アナトニーの顔の刺青を入れているが、父親は息子のロマチェンコが刺青を入れることに反対している[3]。 2007年11月、シカゴで行われた世界ボクシング選手権にフェザー級(57kg)で出場し、決勝でアルバート・セリモフに敗れ銀メダルに終わった[4]。 2008年8月、北京オリンピックにフェザー級(57kg)で出場し。1回戦から準決勝まで勝ち上がり、決勝戦は第1ラウンドでレフェリーストップコンテスト。金メダルを獲得した[5]。 2008年11月、リヴァプールで行われたヨーロッパアマチュアボクシング選手権にフェザー級(57kg)で出場し、金メダルを獲得した[6]。 2009年9月、ミラノで行われた世界ボクシング選手権にフェザー級(57kg)出場し、準決勝でオスカル・バルデスを破り、金メダル獲得を果たした[7]。 2011年9月、バクーで行われた世界ボクシング選手権にライト級(60kg)で出場し、2回戦でホセ・カルロス・ラミレスを破り、連覇を達成した[8]。 2012年8月、ロンドンオリンピックにライト級(60kg)で出場し、準々決勝でフェリックス・ベルデホを破り、フェザー級に続きライト級で金メダルを獲得した[9]。 その後はAIBA主催の「ワールド・シリーズ・オブ・ボクシング」に参加するなどアマチュア続行かプロ転向か悩んでいたが、2013年にプロに転向するとロマチェンコは公式にメディアに発表。 アマチュア戦績は397戦396勝1敗。なお1敗は2007年シカゴの世界ボクシング選手権決勝のみだった。 プロ転向発表後アメリカに渡り、ボブ・アラムのトップランクと契約を交わした。同じ北京オリンピックとロンドンオリンピックのライトフライ級部門で金メダルを獲得した鄒市明とロンドンオリンピックミドル級部門金メダリスト村田諒太が所属しているプロモーターと契約を交わしたことで話題を集めた。さらにセルゲイ・コバレフなどロシアの有力プロボクサーを多数擁するマネージャーのエグリス・クリマスと契約を交わした。 2013年10月12日、ラスベガストーマス&マック・センターでファン・マヌエル・マルケスVSティモシー・ブラッドリーの前座にてWBO世界同級6位でWBOインターナショナルフェザー級王者のホセ・ラミレスとデビュー戦で対戦した。試合は初回1分過ぎに左ボディショットで最初のダウンを奪いペースを握ると、2回、3回とフックと連打でラミレスを劣勢に追い込み、4回左ボディショットが2発当たるとラミレスは転がり込んでダウン。レフェリーはカウントするも悶絶したラミレスを見てカウントを途中でストップ。4回2分59秒KO勝ちを収め王座獲得と同時にWBOフェザー級5位にランクインした。 2014年3月1日、テキサス州サンアントニオのアラモドームにてフリオ・セサール・チャベス・ジュニア対ブライアン・ベラの前座でWBO世界フェザー級王者オルランド・サリドと対戦。史上最短となるプロ2戦目での王座獲得を目指したが、AIBAが立ち上げたプロボクシングの国際大会であるワールド・シリーズ・オブ・ボクシングで6試合を行っているため、アメリカの公式記録では8戦目と記録されていた[10]。試合は前日計量でサリドが体重超過で王座を剥奪されたため、ロマチェンコが勝った場合のみ王座獲得という変則ルールで行われ、12回1-2(115-113、113-115、112-116)の判定負けでプロ初黒星と同時に王座獲得に失敗した[11]。 2014年3月20日、WBOが指名挑戦者のゲーリー・ラッセル・ジュニアとWBO世界フェザー級5位のワシル・ロマチェンコにWBO世界フェザー級王座決定戦の交渉を30日以内に完了させるか入札を行うよう指令を出した[12]。 2014年6月21日、カリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センター・テニスコートにてロバート・ゲレーロVS亀海喜寛の前座で、オルランド・サリドの王座剥奪に伴い空位となったWBO世界フェザー級王座決定戦でWBO世界フェザー級1位のゲーリー・ラッセル・ジュニアと対戦し、12回2-0(114-114、2者が116-112)の判定勝ちを収めプロ最短タイとなる3戦目での王座獲得に成功した[13]。7月14日、WBOはロマチェンコを2014年7月度の月間MVPに選出した[14][15]。 2014年11月22日、マカオのザ・ベネチアン・マカオにあるコタイ・アリーナでマニー・パッキャオ対クリス・アルギエリの前座でWBOアジア太平洋フェザー級王者でWBO世界フェザー級1位のチョンラターン・ピリヤピンヨーと指名試合を行い、4回にチョンラターンからダウンを奪うも、その後は右拳を負傷し手て仕留められなかったが多彩なテクニックを披露して12回3-0(3者とも120-107)の大差判定勝ちを収め初防衛に成功した[16]。 2015年5月2日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでフロイド・メイウェザー・ジュニアVSマニー・パッキャオの前座でWBO世界フェザー級1位でNABO北米フェザー級王者ガマリエル・ロドリゲスと2試合連続の指名試合を行い、KO負けがなかったロドリゲスにボディフック一撃で悶絶KOを奪い試合終了。9回55秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した[17]。 2015年11月7日、ラスベガストーマス&マック・センターでティモシー・ブラッドリーVSブランドン・リオスの前座でロムロ・コアシチャと対戦しボディフックで悶絶KOを奪い10回2分35秒KO勝ちで3度目の防衛に成功した[18]。 2016年6月11日、マディソン・スクエア・ガーデン・シアターでWBO世界フェザー級王座に在位したままWBO世界スーパーフェザー級王者のローマン・マルチネスと対戦。初回からストップ寸前にする展開に何度も持ち込み、最後は左アッパーから右フックでマルチネスを失神させる5回1分9秒KO勝ちを収め井上尚弥を上回る世界最速7戦目での2階級制覇を達成した[19][20]。試合後にWBO世界フェザー級王座を返上した。 2016年6月13日、WBOはロマチェンコを2016年6月度の月間MVPに選出した[21][22]。
1 来歴
1.1 アマチュア時代
1.2 プロ時代
1.2.1 フェザー級
1.2.2 スーパーフェザー級
1.2.3 ライト級
2 戦績
3 獲得タイトル
4 注釈
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
来歴
アマチュア時代
プロ時代
フェザー級
スーパーフェザー級
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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