ワイバーン
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「ワイバーン」のその他の用法については「ワイバーン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
紋章に使われるワイバーン。

ワイバーン(wyvern または wivern)は、イギリスの紋章印章旗章などに見られるの図像の一つ。およびそこから派生した架空の怪物である。
概要

一般的にはドラゴンの頭、コウモリの翼、一対のワシの脚[注釈 1]ヘビの尾に、尾の先端には矢尻のようなトゲを具えた空を飛ぶ竜とされる。その口からは時に赤い舌が伸び、また炎を吐いていることもある。紋章においてワイバーンの図像は様々な色に塗られてきたが、ワイバーンの自然の色は緑と赤の2色である[注釈 2]

ワイバーンは現在においてもイギリスで人気のある図像の一つである。大学や会社、スポーツチーム、あるいは行政区など様々な団体がワイバーンの図像や名前を用いている。
語源

中期英語で用いられていた wyver という単語は古フランス語の wivre に由来する。この wyver に bittern や heron (サギ)などに見られる接尾辞の -n を付与したとされるのが wyvern である[2]

異説として、ワイバーンをラテン語の viverra(フェレット)と同一視する者[注釈 3]があった。この説をとる人々はワイバーンを翼の生えたフェレットと見做していた[3]。こうした説は語源俗解であり、現在では顧みられることは無い。
紋章学におけるドラゴンとの区別ヘンリー8世の印章の一つ[4]。同書内でこの印章の竜はワイバーンと記されている

「二足の竜」の図像は、イギリスを除くヨーロッパではドラゴンの一般的な形態の一つとして扱われており、これをワイバーンとしてドラゴンから区別するのはイギリスおよびイギリスの旧植民地に特有のことである。また、そのイギリスにおいても当初からワイバーンとドラゴンは区別されていたわけではない[注釈 4]。二足の竜をドラゴンと読んだ例も、四足の竜をワイバーンと呼んだ例もあるため、過去の文献にあたる際にはワイバーンと記されていてもそれが即ち二足の竜を表しているとは限らないことに留意が必要である。

Barron (1905) は1530年の文献に対し、この時期の殆どの紋章記述においてドラゴンという術語は二足の竜を指しているとした。トーマス・ウォール[注釈 5]が1530年に書き上げたクレストの目録内の「ドラゴン」という記述に対し、「テューダー家の四足のドラゴンはこの後の形態であるため、この時期の殆どの紋章記述と同様に、ここでのドラゴンはワイバーあるいはワイバーンを指して使われている」と注釈を付けた。少なくともこの時期においてドラゴンとワイバーンは同一視されていたと言える。

Fox-Davies (1902) が「ワイバーンとドラゴンの区別は比較的最近のことであるのを忘れてはならない」とするように、四足のドラゴンがイギリスの紋章学に登場したテューダー期以降もワイバーンとドラゴンの区別は厳密に行われてきたわけではない。典型的な例が大英博物館の写本部の印章の目録[4]であり、ここではそのテューダーの四足のドラゴンを指してワイバーンと呼び表している。
象徴Worshipful Society of Apothecaries の紋章

紋章においてワイバーンは戦争、嫉妬あるいは疫病を象徴するとされているが、これはワイバーンに限ったことではなくドラゴンにも共通する特徴である。Boutell & Aveling (1873)は「(四足の)ドラゴンは疫病の象徴である」としており、Vinycomb (1906)は「昔の紋章官達はこれらの想像上の怪物(ドラゴンとワイバーン)について、これらは疫病のしるしであり(中略)悪意と嫉妬を象徴すると言う。紋章学においては、これらは敵の打破や専制の意に用いられる」としている。

病気を象徴する紋章竜の一例として、"Worshipful Society of Apothecaries" というロンドンの薬局による同業者組合の紋章が挙げられる。1617年に与えられたとされるこの紋章では、医療神としての側面を持つアポロが病気を象徴する竜を討伐している様子が描かれている。この竜は二足の鳥の足を持っており形状はワイバーンのそれだが、同組合はこれをドラゴンであるとしている[5]
成立
ブリテン島の二足の竜のルーツイングランド軍の竜の軍旗
(バイユーのタペストリーより)

「二足の竜」は、ヨーロッパの他地域だけではなくブリテン島においても竜の図像として一般的なものの一つであった。1066年のヘイスティングズの戦いにおいてハロルド2世率いる当時のイングランド軍が二足の竜の軍旗を用いていたことがバイユーのタペストリーに刺繍されている。これ以前の竜の図像については詳しいことは分かっていない。「ローマのコホートが用いていたドラコと呼ばれる竜を象った旗が、ローマがブリテン島からの撤退した後もウェールズ人に受け継がれた。後にブリテン島に侵攻してきたアングロサクソン人が、敵対するウェールズの竜の旗を模倣した。これがハロルド2世の竜の旗へと連なる竜の図像のルーツである」などとする文献がある。しかし、こうしたウェールズの竜にまつわる史観は偽史書である「ブリタニア列王史」の記述に基づいたものであり、当時の遺物など物的証拠は存在しない。列王史の作者ジェフリー・オブ・モンマスの専門家である Tatlock (1933) は、当時のウェールズにおける竜文化の実在について否定的な見解を示しており、その中でも特に竜の旗については強く否定している[注釈 6]
中世のワイバー


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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