ワイオミング郡_(ニューヨーク州)
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ニューヨーク州ワイオミング郡
郡のニューヨーク州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1841年
郡庁所在地ウォーソー
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水
1,544 km2 (596 mi2)
1,533 km2 (592 mi2)
10 km2 (4 mi2), 0.59%
人口
 - (2010年)
 - 密度
42,155人
27.4人/km2 (71人/mi2)
標準時東部: UTC-5/-4
ウェブサイト ⇒www.wyomingco.net

ワイオミング郡(: Wyoming County)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の西部に位置するである。2010年国勢調査での人口は42,155人であり、2000年の43,424 人から2.9%減少した[1]郡庁所在地はウォーソー村(人口3,473人[2])であり、同郡で人口最大の自治体はペリー村(人口3,673人[3])である。郡名はレナペ族インデァインの言葉で「広い低地」を意味するものから派生した。1841年にジェネシー郡から分離設立された。
歴史

ニューヨーク州西部にある他地域と同様に、ワイオミング郡は17世紀から18世紀にマサチューセッツ湾植民地、コネチカット植民地、ペンシルベニア植民地、ニューヨーク植民地の間で境界論争があった地域だった。また程度は小さいもののヌーベルフランスとの間にも論争があった。ニューヨークの領有権は1786年のハートフォード条約が批准されるまで認められず、実際面ではホランド買収を待つ必要があった。

ニューヨークの領有権に関して、1683年時点では、現在のワイオミング郡領域はオールバニ郡に属していた。これは巨大な郡であり、ニューヨーク州北部とバーモント州の全てを含んでおり、さらに理論的には西の太平洋岸まで広がっていた。1766年7月3日に、カンバーランド郡を分離し、1770年3月16日にグロスター郡を分離したが、どちらも現在はバーモント州に含まれている。

1772年3月12日、オールバニ郡の残りが3つに分割され、1つはオールバニ郡の名前で残った。1つは西部に作られたトライアン郡だった。トライアン郡の東部境界は現在のスケネクタディ市の西約5マイル (8 km) にあり、アディロンダック山地の西側と、デラウェア川西支流より西の領域を含んでいた。トライアン郡に指定された地域には現在のニューヨーク州37郡が入っている。ニューヨーク植民地総督のウィリアム・トライアンに因んで名付けられた。

1776年に先立つ年に、トライアン郡のロイヤリストは大半がカナダに逃亡した。1784年、アメリカ独立戦争を終わらせた条約締結に続いて、トライアン郡はモンゴメリー郡に改名された。これは独立戦争時の将軍リチャード・モントゴメリーに因む命名だった。モントゴメリーはカナダで数か所を占領した後、ケベック市攻略中に戦死した。憎まれたイギリスの総督に代わる命名だった。

1789年にモリス・リザーブを設立した結果として、モンゴメリー郡からオンタリオ郡が分離した。

現在のワイオミング郡を含むジェネシー川西の地域ほとんど全部は、1793年のホランド買収に含まれており、1801年からバテイビアにあったホランド土地会社を通じて販売された。

1802年にはホランド買収で得た土地を統治するために、オンタリオ郡からジェネシー郡が分離して設立された。その領域は現在のジェネシー郡よりもかなり広かった。1806年にアリゲイニー郡、1808年にカタラウガス郡シャトークア郡ナイアガラ郡を分離して小さくなった。当時のナイアガラ郡には現在のエリー郡が含まれていた。

1821年、ジェネシー郡の一部とオンタリオ郡の一部を合わせ、リビングストン郡モンロー郡が作られた。

さらに1824年、オーリンズ郡が分離してジェネシー郡は小さくなった。

最後は1841年、ジェネシー郡南部、アリゲイニー郡北西隅、カタラウガス郡北東隅からワイオミング郡が作られた。
見どころ

レッチワース州立公園、ジェネシー川沿いにあり、郡南東境界の一部をなしている。深い峡谷と3つの大きな滝が見物である。最終氷河時代に川が向きを変えられ、新しい川筋が掘られた。「ジェネシーの白人女性」と呼ばれたメアリー・ジェミソンの家があった。ジェミソンは若いときにセネカ族インデァインに捕らえられたままとなり、この部族と土地会社の間の交渉では重要人物になった

ワイオミング村のミドルベリー・アカデミー、ジェネシー川より西では最初の高校レベルの学校、ギリシャ復古調の建物が現存し、
アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている

ヒルサイド・イン、1841年頃にワイオミング村の上の丘陵にあった鉱泉で、当初は温泉として開所した。セオドア・ルーズベルトとその家族、スーザン・B・アンソニーなど重要人物をもてなした

アーケイド・アンド・アッティカ鉄道、現在は蒸気機関車の復元がある


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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