カンザス州ワイアンドット郡
カンザスシティ市にあるワイアンドット郡庁舎
郡のカンザス州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1859年
郡庁所在地カンザスシティ
面積
- 総面積
- 陸
- 水
403 km2 (155.69 mi2)
392 km2 (151.39 mi2)
11 km2 (4.30 mi2), 2.76%
人口
- (2020年
ワイアンドット郡(英: Wyandotte County、発音: [?wa?.?nd?t])は、アメリカ合衆国カンザス州の東部に位置する郡である。カンザス州では面積最小の郡である。人口は16万9245人(2020年)[1]。郡庁所在地はカンザスシティであり[2]、カンザスシティとワイアンドット郡は統合市郡となっている。ミズーリ州の「カンザスシティ」に隣接し、カンザスシティ都市圏に属している。 ワイアンドット郡の名前はワイアンドット族インディアンから採られている。この部族はカナダのフランス人からヒューロン族と呼ばれていたが、自らはワイアンドットと名乗っていた。東部のイロコイ族とは遠いが関係があり、互いに戦うこともあった。彼らはアメリカの白人が自分達の領土に入ってくるのを止めることを期待し、またオハイオ川がアメリカ合衆国とカナダの境界になることを期待していた。 ワイアンドット族の1支族が現在オハイオ州となっている所に移動してきた。彼らは概してイギリス系アメリカ人社会と融和する道を選んだ。その多くは伝道しの影響でキリスト教徒になった。1843年には現在のカンザス州ワイアンドット郡がある地域に移住させられ、町を形成し、アメリカ人開拓者と共同して働いた。キリスト教徒マンシー族もこの地域の初期開拓に影響を与えた。 カンザス州のワイアンドット族は、オハイオに居るときに作成した立憲政体を作った。カンザスとネブラスカのために地域政府を構築した。地域知事として選出された者が治める形だった。 1811年、ショーニー族の指導者テクムセの弟、「預言者」テンスクワタワがアメリカ陸軍とティッペカヌーの戦いを戦った。テンスクワタワは、カンザスシティ市内ホワイトフェザースプリングにあるショーニー族歴史史跡に埋葬された。この地は1975年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定された。 「デラウェア渡し」(あるいは「ミリタリー渡し」、セコンダインと呼ばれることもある)が、昔のインディアンの道とコー川の出合う所にあった。1831年頃、この地域の初期白人開拓者の1人であるモーゼス・グリンターが、ここでカンザス川の渡し舟(グリンター渡し)を始めた。その家はグリンター・プレースと呼ばれた。その渡し舟は軍事道路上にあるレブンワース砦とスコット砦の間を旅する交易業者、搬送業者および兵士に使われた。ニューメキシコのサンタフェに向かう途中で、ここで川を渡る者もいた。 ワイアンドット郡は1859年に組織化された[3]。1880年代頃は、カンザスシティの「精錬精製会社」が250人以上の従業員を雇用していた。山岳部の鉱山地区から掘り出された鉱石と金銀含有粗鉛がここで破砕され、分離、精製されていた。 レブンワース市の教区が1947年5月10日にカンザスシティに移転され、1952年8月9日には大司教区となった。 ワイアンドット郡はアルコールを禁じる、すなわち「ドライ」の郡だったが、1986年にカンザス州憲法が修正され、住民は投票で個人が嗜むアルコール飲料の販売を承認した。ただし、食料販売量の30%までという制限が付いた。この制限は1988年の住民投票で撤廃された。 アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は155.69平方マイル (403.2 km2)であり、このうち陸地は151.39平方マイル (392.1 km2)、水域は4.30平方マイル (11.1 km2)で水域率は2.76%である[4]。カンザス州では面積最小の郡である。 ワイアンドット郡は穏やかにうねっている地形である。カンザス川が郡の南側境界になっている。標高は北から南に向かって高くなり、またカンザス川とミズーリ川から離れると高くなる。 郡域にはミズーリ川の水系に属するカンザス川が流れている。カンザス州の北東部にあり、降水量は多い。
歴史
ワイアンドット族
その他の歴史的経緯
法と政府
地理
地形
水域
隣接する郡
プラット郡 (ミズーリ州) - 北
クレイ郡 (ミズーリ州) - 北東
ジャクソン郡 (ミズーリ州) - 東
ジョンソン郡 - 南
レブンワース郡 - 西
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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