ローンボウルズ
[Wikipedia|▼Menu]
ローンボウルズの競技風景

ローンボウルズ(英語: lawn bowls)は、ボウルと呼ばれる偏心球を、目標球のどれだけそばに近づけられるかを競う球技である。

イギリス発祥のスポーツで、ボウリングの前身でもあり、オーストラリアカナダニュージーランドといったコモンウェルス諸国で人気がある。ボウルズ(bowls)、ローンボウルス、ローンボウリング(lawn bowling)とも呼ばれる。また、フランススポールブールペタンクイタリアボッチャといった、類似のブールスポーツの英語での訳語としてボウルズの語を用いる場合がある。

コモンウェルスゲームズの競技種目であるほか、世界大会も開催されている。適度な運動量で楽しめるため、レクリエーションスポーツとして、高齢者や障害者にも親しまれている。目次

1 歴史

2 用具・服装

3 競技形態

3.1 種目

3.2 グリーン


4 競技内容

5 日本におけるローンボウルズ

6 関連項目

7 外部リンク

歴史

起源はボウリングと同一であり、紀元前5000年頃に古代エジプトで行われていたピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式である(出典不詳)。しかし当競技のほうは、ピンを倒すものではないので、この行事との共通点は転がすということのみである。

よって、今日の競技形式の直接の起源は13世紀のイギリス、スコットランドで流行したボウリング・オン・ザ・グリーンにあるとされている(出典不詳)。14世紀、エドワード3世リチャード2世イングランドの国王たちは兵士たちが弓術をおろそかにするとして、しばしば禁止した。しかし、その一方で確実に浸透、シェイクスピアの史劇『リチャード二世』第3幕第4場には、女性も楽しんでいたことをうかがわせる記述がある。自らも愛好者であったヘンリー8世は、貴族ではない平民階級がこのスポーツを行なうことをクリスマスの時期を除いて禁じているが、このことはそれだけこのスポーツが幅広い層の人々に好まれていたことを示している。

よく知られるエピソードがサー・フランシス・ドレークの伝説的な逸話である。1588年7月、プリマス・ホーでボウルズに興じていたドレークは、無敵艦隊の接近を知らされた際、ゲームを終えてからスペイン人をうちのめす時間はまだある、と豪語したとされている。その後、アルマダの海戦に臨んだドレークはその言葉どおりにスペインに勝利した。なお、ボウルズ禁止令が解かれたのは1845年のことである。

17世紀以降、北アメリカ、オセアニアなどイギリスの植民地支配が拡大するに従って、それらの支配地域へと広がり、オーストラリアでは1845年タスマニア州で試合が行なわれた記録が残っている。

1848年、スコットランドのグラスゴーにプレイヤーたちが集まり、基本となる競技規則の必要性を認識、弁護士のミッチェル(William W. Mitchell, 1803年-1884年)が中心となってこれをまとめ、1864年にルールブックが出版された。1892年にはスコットランドボウリング協会が、1903年にはイングランドボウリング協会が、そして1905年には国際ボウリング理事会が創設され、愛好家たちの集まりが組織化された。

コモンウェルスゲームズでは、その前身にあたる1930年第1回大英帝国競技大会以来、1966年ジャマイカ大会の1大会を除いて毎回開催され、2018年大会においても競技が予定されている。1966年、施設の不備を理由にコモンウェルスゲームズで競技が行なわれなかったことから、代替イベントとして初めて開催されたのが世界選手権である。女性選手が参加する種目も加わり、1972年以降4年おきに開催されている。また、アジア太平洋地域諸国が参加する、アジア太平洋選手権も1985年から隔年で行なわれている。

パラリンピックでは、1968年イスラエル大会から1996年アメリカ大会まで、1992年スペイン大会を除く大会で行なわれた。
用具・服装 ボウルとジャック
ボウル(bowl)
完全な球体ではなく重心が一方に偏った球で、投げるとカーブして転がるという特徴をもつ。色は黒か茶色が多く、重さは最大で1.59キログラムまでとされている。材質は木製(ユソウボク)あるいはゴム、プラスチックなどの合成樹脂製である。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:14 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef