ローレンス・ブラッグ
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William Lawrence Bragg
ウィリアム・ローレンス・ブラッグ
ウィリアム・ローレンス・ブラッグ(1915)
生誕 (1890-03-31) 1890年3月31日
アデレード
死没 (1971-07-01) 1971年7月1日(81歳没)
サフォーク州イプスウィッチ
居住 オーストラリア
イギリス
国籍 オーストラリア
イギリス
研究分野物理学結晶学
研究機関マンチェスター・ビクトリア大学
ケンブリッジ大学
出身校アデレード大学ケンブリッジ大学
博士課程
指導教員J・J・トムソン
W・H・ブラッグ
主な業績X線回折
ブラッグの法則
主な受賞歴ノーベル物理学賞 (1915)
ヒューズ・メダル (1931)
ロイヤル・メダル (1946)
コプリ・メダル (1966)
補足
25歳でノーベル賞を受賞。W・H・ブラッグの息子。ケンブリッジでは Ph.D. が1919年まで存在せず、J・J・トムソンとW・H・ブラッグの2人が指導教官に相当する。
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1915年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:X線による結晶構造解析に関する研究

ウィリアム・ローレンス・ブラッグ(William Lawrence Bragg、1890年3月31日 - 1971年7月1日)は、オーストラリア生まれのイギリス物理学者。現代結晶学の創始者のひとり。X線回折を用いて物質の構造を研究した。1915年、25歳の時に、父であるヘンリー・ブラッグと共にノーベル物理学賞を受賞。キャヴェンディッシュ研究所所長を務めていた1953年2月、同研究所のジェームズ・ワトソンフランシス・クリックがDNAの構造を解明した。
生涯
学生時代まで

オーストラリアのアデレードに生まれる。感受性の強い少年で、科学と数学に早くから興味を示した。父はアデレード大学で物理学と数学の教授を務めていたヘンリー・ブラッグ[1]。5歳のときに三輪車で転んで腕を骨折し、父がその直前に知ったヴィルヘルム・レントゲンによるX線の発見を思い出し、検査に用いた。これはオーストラリアにおけるX線の医学的応用の最初の例という。

ブラッグは優秀な学生だった。1904年、14歳でアデレード大学に進学し、数学・化学・物理学を学び、1908年に卒業。同年、父がリーズ大学での教授職を提供され、一家でイングランドに戻った。ブラッグは1909年の秋にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学したが、肺炎を患って病床にいたため試験を受けなかったにもかかわらず、数学の奨学金を授与された。当初は数学に才能を発揮していたが、物理学に転向して1911年に首席で卒業。1914年にはトリニティ・カレッジのフェローシップに選ばれた。トリニティ・カレッジのフェローシップは、論文の提出や試問に関わる[2][3]
経歴
X線結晶学の研究

ブラッグは、結晶によるX線回折についての法則「ブラッグの法則」でよく知られている[1]。これにより、結晶格子で回折したX線ビームから結晶内の原子の配置を計算できるようになった。これを発見したのは1912年で、彼がケンブリッジで研究生として過ごした最初の年のことである。彼はそのアイデアを父に話し、父はリーズ大学でX線分光計を開発した。この装置により、様々な結晶の分析が可能になった。
音響測位の研究

第一次世界大戦中は軍事研究を行ったが、まもなく1915年に父とともに25歳でノーベル物理学賞を受賞した[1]


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