ロールス・ロイス_RB211
[Wikipedia|▼Menu]

ロールス・ロイス RB211

要目一覧
種類ターボファンエンジン
製造国 イギリス
製造会社ロールス・ロイス・ホールディングス
最初の運転1969年
主な搭載機ロッキード L-1011 トライスター
ボーイング747-SP
ボーイング747-200
ボーイング747-400
ボーイング757
ボーイング767
ツポレフ Tu-204
形式3軸式 ターボファンエンジン
バイパス比5.0)
全長119.4 in (3,030 mm)
ファンの直径84.8 in (2,150 mm)
重量9,195 lb (4,171 kg)
圧縮機軸流式
推力42,000 lbf (190 kN)
RB211-22を搭載するロッキード L-1011型機

ロールス・ロイス RB211は、ロールス・ロイスが生産する推力37,400から60,600重量ポンド(166から270KN)の高バイパスターボファンエンジンである。原型は1972年に運航を開始したロッキード L-1011 トライスター向けに開発され、当初は同機のみに使用された。開発段階で、採用した複合材製のファンブレードHyfilがバードストライク試験に合格できず、やり直しの必要が生じたことによる開発費高騰のためロールス・ロイス・リミテッドは破産し、救済のためイギリス政府が国有化するに至った。このRB211は世界で初めて実用化された3軸式ターボファンエンジンで、国際民間航空機用エンジン市場で低シェアに留まっていたロールス・ロイスを主要エンジンメーカーに成長させる原動力となった[1]。派生型がボーイング747ボーイング757ボーイング767ロシアツポレフ Tu-204に搭載された他、発電用にも使用されている。

RB211は、1990年代に後継機種であるトレントファミリーに置き換わった[1]
歴史
背景

1966年アメリカン航空座席あたりの費用が低コストな新型短・中距離旅客機を導入する予定があることを発表した。アメリカン航空は双発機を探していたが、航空機メーカーにとって新型旅客機の開発を正当化するためにはさらにもう一社同型機の導入を計画する航空会社が必要だった。イースタン航空も同様に興味を示したが、洋上を飛行する路線のために航続距離の長い機体を必要としていた。当時、この用途には冗長性を持たせるために三発機が必要だった。他の航空会社も三発機に賛同した。ロッキードダグラスはこの要望に応えるべく、それぞれ、L-1011DC-10を開発案として示した。両方とも約300人乗りのワイドボディー、2通路の大陸間横断飛行可能な長航続距離の三発機という類似した機体案であった。

両機の案とも新型エンジンが必要であった。予定されたエンジンは、当時開発が進みつつあった燃費が良く、騒音の少ないターボファンエンジンだった。ロールス・ロイスは当時、推力45,000 lbf (200 kN)級の3軸式高バイパスターボファンエンジンRB178をホーカー・シドレー トライデントのエンジン換装用に開発中だった。これは後にエアバスA300向けに推力47,500 lbf (211 kN)を発揮するRB207の開発に発展したが、RB211計画を進めるために中止となった。一方、ロールス・ロイスは同様に高効率の3軸式ターボファンエンジンの開発を行っていた。この構成は同軸のタービンが低圧・中圧・高圧の3つあり、それぞれが異なる回転数で圧縮機を駆動する。従来の2軸式に比べて構造が複雑になるため製造・整備が複雑にはなるものの、各段の圧縮機の回転数が最適化されるため全長が短縮できコンパクトに収まり、剛性も高めることができる。当時、複数の設計案が開発中でRB203と呼ばれるロールス・ロイス スペイの換装を目的とした推力10,000 lbf (44 kN)の設計案もあった。
設計の完了

1967年6月23日、ロールス・ロイスはロッキードL-1011に対してRB211-06を提案した。新エンジンは推力が33,260lbf(147,900N)で、当時開発中だったRB207の高バイパス設計とRB203の3軸設計を組み合わせたものであった[2]。ファンブレードの素材にはロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメントが開発した全く新しい技術である炭素繊維製のHyfilを採用した。これは製ファンブレードよりも大幅に軽量化できるため、RB211は当時競合するどのエンジンよりも推力重量比に優れることが期待された。エンジンにこういった新機軸を盛り込むには時間を要するであろうことは予想しつつも、ロールス・ロイスはRB211を1971年に運航開始する事を了承した[3]。ロッキードは新型エンジンによってライバルである類似のDC-10に対して明確な優位に立てると考えていた。しかし、ダグラスも同様にロールス・ロイスにDC-10へ搭載するエンジンの仕様提示を求めており、1967年10月にロールス・ロイスは推力35,400 lbf (157 kN)のRB211-10を提案した。機体メーカーであるロッキードとダグラス、エンジンメーカーであるロールス・ロイス、ゼネラル・エレクトリックおよびプラット・アンド・ホイットニーの間と同様に、主要なアメリカの航空会社の間でも激しい交渉が続いた。

この交渉を通じて、エンジン価格は値下げされる一方で、要求推力はどんどん上昇していった。1968年初頭にロールス・ロイスは推力40,600 lbf (181 kN)のRB211-18を提案した。最終的に1968年3月29日にロッキードは94機のトライスターを受注し、ロールス・ロイスにRB211-22 エンジンを150基発注したと発表した[3][注 1]
RB211-22 シリーズ
開発と試験

RB211は大推力の3軸式という複雑さのため、開発および試験に長期間を要した。1969年秋の時点で、ロールス・ロイスは当初予定していた性能がなかなか保証できずに苦心していた。当初見込みよりもエンジンは重くなり、推力も不十分で、燃料消費量も大幅に超過していた。この状況は1970年5月に新開発の複合材製ファンブレードHyfilが最終かつ最重要であるバードストライク試験に合格できなかったことでさらに悪化した[注 2]。ロールス・ロイスは新機軸であるHyfilの開発が難航したときの保険としてチタン製ファンブレードを並行して開発していたが、これは開発費が余計にかかる上、採用するとさらにエンジン重量が増加する事をも意味していた。チタン製ファンブレードの成型工程においてチタン特有の技術的な問題が見つかったことでさらに開発費はさらに高騰した。

1970年9月、ロールス・ロイスはイギリス政府にRB211の開発費が当初見込みの1億7,030万ポンドから2倍近くに増え、さらにエンジンの推定生産費用はエンジン売価230,375ポンドを上回ることを報告している[3]。計画は危機的な状況に陥り[4]、ロッキードに対する開発遅延の違約金支払いも生じたことから経営状況は急速に悪化していった。
破産と余波

1971年1月、遂にロールス・ロイスは債務超過に陥り、1971年2月4日管財人の管理下におかれた[注 3]。これによりL-1011 トライスター計画は深刻な危機に陥った。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:66 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef