ロールス・ロイス_クレシー
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クレシー(英語:Crecy )とは、イギリスロールス・ロイスが開発した実験的な航空用エンジンである。排気量は約26リットル (1,536in3) の2ストローク、90度V型12気筒液冷式で、スリーブバルブと直接燃料噴射装置が特徴である。本エンジンは、1941年から1945年の間に開発が進められ[1]、飛行試験後にスーパーマリン スピットファイアへの採用も考えられていたが、結局いずれの機体にも用いられず、ジェットエンジン開発の進展により1945年12月に中止させられた。
名前の由来

本エンジンの名前はクレシーの戦いに由来し、この名がロールス・ロイスの2ストロークエンジンの名前として決まることとなった。しかし、量産されることなく、この後はジェットエンジンが川の名前で名づけられることになる[2]
設計・開発

英連邦航空研究諮問委員会 (ARC) 委員長であったヘンリー・ティザード卿は、1935年にはドイツ航空戦力の脅威を感じて強力な短距離走者(sprint )的なエンジンを提唱しその必要性を訴えた。この訴えはティザードの個人的友人のハリー・リカルドを感化し、クレシーとして知られるものの開発につながった[3]。この案が初めて公式に議論されたのは、1935年12月のエンジン小委員会であった。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}"議長はもし空軍省が短距離走者的な国土防衛のためのエンジンを欲したならば我々はどれだけ燃料を軽視できるのか質問せねばならないと言った。リカルド氏はこの点について最近の談話での要望で、一定の状況で激しい燃料の消費は許容されないかもしれず、もしそうならば魅力的な2ストローク・ガソリンエンジンの可能性につながる研究が必要だといった。"

1927年と1930年に用いられたケストレルエンジンの経験は、空軍省との契約を通じて2ストロークとスリーブバルブ設計の研究価値を証明した。どちらも最初のうちは原型より低出力で機械的故障の顕著な増加が見られるディーゼルのスリーブバルブ式に換装された。

1937年にプロジェクトエンジニアのハリー・ウッドのもとで単気型の開発がリカルドの設計した試験ユニットを用いて開始された。最初に考えられたのは、圧縮点火エンジンとしてであったが、ロールス・ロイスが本腰を入れて開発を始めると空軍省の決定でより保守的な火花点火式に改められた。
技術的特徴

最初の完全な12気筒型はハリー・ウッドとチーフディレクターのエディー・ガスに率いられたチームの設計で1941年に完成した。内径5.1 in (129.5 mm)、行程6.5 in (165.1 mm)、圧縮比7:1、重量 1,900 lb (862 kg)[4]点火時期 30° BTDC、 15 lbf/in2 (100 kPa) のスーパーチャージャーによるブーストが特徴的だった。ベンチテストでは1,400馬力 (1,000 kW) を発揮したが、ピストンとスリーブの冷却や振動などに問題が生じた[5]。騒々しい2ストローク機関から生み出される排気由来の推力は最大出力では30%増大させるとみられている。この特徴は興味深いものであり高速・高高度においてマーリンと研究中だったジェットエンジンの間のつなぎとして有用かもしれなかった。ロールス・ロイスの慣習では正面から見て時計回りの回転式エンジンに与えられる偶数のシリアルナンバーを与えられた。
テスト総括表

以下は試験運転時間と特記すべき失敗についてまとめた表である。

データの出典:[6]

エンジン期間備考試験時間
クレシー21941年4月11日初稼動。シリンダーヘッドブロック一体型。ピストンの不調のためテスト中止69
1942年11月 ?
1942年12月この期間中に3回のリビルド。ピストンが焼け付いたため35時間の試験中止67
1943年2月 ?
1943年7月シリンダーヘッドを分離したMkII型に切り替え。この期間で3回のリビルド。空軍省の承認テストを通過38
1944年3月 ?
1944年7月5回のリビルドを行う。同じ長さのインジェクター口を改良型の過給装置に取り付け。スーパーチャージャーの故障とスリーブバルブの焼け付きを起こす82
1944 ?
November 1944完成度の高い型がテストに合格する(112 時間)。コネクティングロッドにおけるビグエンド、ピストン、減速機ケースのひび割れとスリーブバルブの異常動作などが運転後明らかになった150
1945年3月 ?
1945年4月耐久試験が行われ27時間でピストンが故障。2回のリビルドを行う49
(Total hours: 461)
クレシー41941年11月報告なし55
1942年7月 ?
1942年8月3回のリビルド。50時間の耐久試験に成功し、2度目の試験でシリンダーブロックがクラッキングにより破損し中止される80
1942年9月 ?
1942年10月リビルド2回。 25時間の耐久稼動に成功し、次の試験でスリーブバルブの破損により中止55
(Total hours: 293)
クレシー61943年7月 ?
1944年2月Mk II型として製造された第1号機。 8回のリビルド。スーパーチャージャーの故障、スリーブバルブの異常動作、ボルトの破砕などが起こす126
1944年3月 ?
1944年9月4回のリビルド。スーパーチャージャーの円滑な動作に失敗、スリーブバルブの焼け付きが起こす93
1944年11月 ?
1945年2月3回のリビルド、メインベアリングとピストンの故障が発生128
1945年7月 ?
1945年8月リビルドは1回。 耐久試験は95時間目でスリーブバルブの故障により中止。プロペラを取り付けた稼動を40時間132
(Total hours: 481)
クレシー81943年9月 ?
1944年3月8回のリビルド。耐久試験を完遂し成功207
1944年4月スーパーチャージャーが故障73
1944年7月 ?
1944年9月5回のリビルド。故障は報告されず32
1944年10月 ?
1945年12月2回のリビルド。ピストンの故障。排気タービンの取り付け22
(Total hours: 336)
クレシー101944年8月 ?
1945年2月6回のリビルド。7時間の運転後に吸気集合管の溶解、その後4時間でスリーブバルブの焼け付き。2度のインジェクターポンプの故障53
1945年3月 ?
1945年7月ピストンの故障により1回のリビルド30


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