ロールス・ロイス・リミテッド
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この項目では、1906年に設立された企業について説明しています。1973年に設立された自動車会社については「ロールス・ロイス・モーターズ」を、航空機エンジンなどを製作するメーカーについては「ロールス・ロイス・ホールディングス」を、1906年に設立された自動車会社に始まるロールス・ロイスの総説については「ロールス・ロイス」を、1998年に設立された自動車会社については「ロールス・ロイス・モーター・カーズ」をご覧ください。

ロールス・ロイス・リミテッド
業種製造業
その後1971年に国有化、自動車部門は1973年に分割されロールス・ロイス・モーターズ
後継ロールス・ロイス・モーターズロールス・ロイス・ホールディングス
設立1906年 (1906)
創業者ヘンリーロイス
チャールズ・ロールズ
解散1971年
本社ダービー イギリス
製品自動車航空用エンジン
ウェブサイトwww.rolls-royce.com 

ロールス・ロイス・リミテッド[注釈 1]: Rolls-Royce )のは1906年3月[1]イギリスで設立された製造業者で1971年に破産して国有化された。
概要

1906年3月に設立された[1]ロールス・ロイス社 (Rolls-Royce Limited ) は、航空機エンジンや乗用自動車の製造を行うイギリスのメーカーであった。1931年には同じイギリスのスポーツカーメーカーであるベントレーを買収[2]するなど規模を拡大し、特に乗用車製造においては高級車の代名詞となった。しかしながら1960年代になると、乗用車製造における技術革新の遅れ、更には新たに開発・発売した航空機用ジェットエンジン「RB211」による損失の拡大などのために経営が悪化した。そのまま1971年4月[3]に経営破綻、イギリス政府によって国有化された。
ロールス・ロイス成立15hp(1905年)

1904年5月にマンチェスターで「10HP」に試乗したチャールズ・ロールズクロード・ジョンソンは、性能の優秀さにいたく感銘を受けた。ロールズは「ロイス車の販売を一手に引き受けたい」と申し出、ロイスもこれを了承した。以後ロールズとロイス、そしてクロード・ジョンソンのチームは、相携えて高性能車の開発、発展に著しく寄与することになる。

しばらくは両者は別会社の形でロールス・ロイスブランドの自動車の製造・販売を行った。C・S・ロールズとロイス自動車部門の合同でロールス・ロイス(Rolls-Royce Ltd )が設立され、名実ともに「ロールス・ロイス」となるのは1906年である。ロイス社でも経営をコントロールしていたアーネスト・クレアモントが(クロード・ジョンソン以上に裏方に徹する形で)ロールス・ロイスでも経営実務にあたり、1907年から1921年に没するまで社長を務めている。

当初、マンチェスターのクック・ストリートにあったロイスの工場で生産が行われたが、1908年にはダービーに本拠を移している。ロイスは1904年末から2気筒の「10HP」とその気筒数を増やして延長した3気筒「15HP」、4気筒の「20HP」、6気筒の「30HP」を製作、当時のイギリス車の中で性能的に群を抜いた存在として注目され、自動車先進国であるフランスでもパリでの展示会で高く評価されるなど成功を収めた。すでに「パルテノン神殿をモチーフとした」とされる独特のラジエーター・デザインはこの頃に定着していた。

20HPは1905年、チャールズ・ロールズらの運転でマン島TTレースに出場、健闘を見せたがトランスミッションのトラブルで2位となった。ロールズは翌年のT.T.レースでは雪辱を果たし、平均速度39mph(約63km/h)の快速で優勝している。
第一次世界大戦と航空用エンジン「ホーク」エンジン。その構造には「シルヴァーゴースト」とダイムラーの自動車用エンジンからのノウハウが活かされている

1914年8月に第一次世界大戦が勃発したが、開戦と同時にドイツのダイムラーの最新型グランプリ・レーシングカーがイギリス軍当局によって没収された。このレーシングカーはロンドンのショールームにちょうど展示されていたものであったが、当時最先端のSOHC動弁機構を搭載していた。SOHCのシステムを航空用エンジンに技術移転できると見込んだイギリス軍は、ロールス・ロイスに開発を持ちかけた。

フレデリック・ヘンリー・ロイスはダイムラー製エンジンを参考に、SOHC機構を搭載した飛行船用70hpエンジンの「ホーク」を開発する。当時の航空用としては珍しい直列形水冷エンジンであったが信頼性は高かった。以後、ロールス・ロイスの航空用レシプロエンジンは、直列形とV形の液冷式を採用して実績を上げた。その結果、第一次世界大戦終戦後、ロールス・ロイスにおいて航空用エンジンは自動車と並ぶ重要部門となっていた。
高水準の確立と戦間期・世界恐慌ファントムI・ランドーレ・ドゥ・ヴィル(1927年)ファントムIII・フーパー・セダンカ・ドゥ・ヴィル(1937年)

「シルヴァーゴースト」の後継モデルとして、1925年には高出力のOHVエンジンを搭載し、機械式サーボ・システム[注釈 2]による強力な4輪ブレーキを装備した「ファントムI」が開発された。

これに先立つ1921年には「シルヴァーゴースト」の大きな市場であり、当時輸入車に高額の関税を課していたアメリカ市場への対策としてアメリカ工場(マサチューセッツ州スプリングフィールド)が開設され、左ハンドル仕様の「シルヴァーゴースト」1,701台、「ファントムI」1,241台を生産したが、ビジネスとしては失敗に終わった。「たとえ高額の関税込みであろうとイギリス製のロールス・ロイスが欲しい」というアメリカの富裕層の心をつかみきれなかったのである。

これらはボディメーカーがアメリカ系のため、イギリス本国生産モデルとは著しく異なるスタイリングをしており、ラジエーター以外はキャデラックパッカードなどのアメリカ車じみた外観だった。1929年世界恐慌がとどめを刺す形になり、1931年にはアメリカでの現地生産の中止を余儀なくされた。

以後のロールス・ロイスの最上級モデルは引き続いて「ファントム」(Phantom )の名を与えられ、1932年には低床シャーシの「ファントムII」、1936年には当時最先端のウィッシュボーン式独立懸架とV形12気筒エンジンを備えた巨大な「ファントムIII」を送り出している。20HP(1924年)

一方、1922年には「シルヴァーゴースト」より小型(とはいえ4リッター級)の「トゥウェンティー」形車(通称ベビー・ロールス)でオーナー・ドライバー向けの高級車市場を開拓。このベビー・ロールス系は1929年に強化形の「20/25HP」に発展、1936年には排気量拡大型の「25/30HP」形に移行し、1938年にはやはり前輪独立懸架装備の「レイス」に進化して、ロールス・ロイスの市場を広げた。


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